ルターは、そのお堅いイメージとは裏腹に、結構ユーモアセンスがありました。
Young Man Luther 『青年ルター』p.237の、ブランクの後から。
嵐の後の静かさの中で、ルターはまた、強い不安が募りました。今度ばかりは、うつが長引き、重たいうつになりつつありました。「これはどうしたことか?」と精神科医は問いますよね。「ルターは、自分の影響力が最高潮に達しましたし、幸せな結婚もしましたし、危機を脱したのではなかったのか? ルターが再び、悲しむはずがありませんし、以前にもまして、悲しくなるなんて理由などあろうはずがありません。ルターの「心のビョーキ」は、内因性のもののはずでしたし、ルターの中での生物学的な変化で決まったはずでした。意味ある理由を見つけ出すなど、馬鹿げた話です」。私どもの社会学者は、精神科医とは逆に、ルターは以前にもまして、トラブルに巻き込まれる理由があると感じます。「ルターは、良心に痛みを感じることなく、180度の方向転換を果たすことができたのは、根源的だと感じてた原則を裏切らずに済んだと感じてたからです」と。その事実が示すことは、ルターが自分の説教が満たされたことを感じて、新しい危機の前に立ち竦んでしまった、ということです。その危機とは、ルターの気質からルターの症状は説明がつくとはいえ、新しい似つかわしくない文脈では、ルターを再び悲しみに連れ戻すものでした。
ルターは、根源的には変わってなかったのでした。確かに信頼は回復したんですけれども、何かが違ってたみたい。エリクソンは、それを何とするのか? 愉しみにいたしましょう。
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