エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「ミニ」と「大」のあいだ

2015-04-30 01:43:49 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ミニと言っても、ミニスカートのことではありません。今日、アメリカの上下両院の場で、あの安倍晋三首相の演説がありました。その呼び出しに、「プライム・ミニスター・オブ・ジャパーン…」とありました。同時通訳者は「日本国内閣総理臣…」とすかさず訳します。

 改めて私は、「ミニ」は、日本に来ると「」になっちゃうんだ、と感じたわけですね。

 ミニスター minister(英語)は、語源的にはラテン語のministerに遡るそうですね。このラテン語のministerは、さらには、ラテン語のminus「より小さい」という意味の言葉に遡ると言います。このラテン語のministerは、servant「仕える者」「奉仕する者」という意味だそうですね(The Oxford American Dictionary and Language Guide, p.630)。

 これは、安倍晋三首相が、マイナスな存在だから、「より小さな」存在だから、ことさらに自分を大きく見せようとして、大見得を切ったり、大声を上げている、ということではないんですね。いま、ライブで安倍晋三首相の演説を聴いていますが、事実としては、たとえ、そのように針小棒大な安倍晋三首相であっても、です。

 英語のministerは、研究社の『リーダーズ英和辞典』によれば、名詞としては、1)(プロテスタント)聖職者、牧師、(カトリック)ミサの司祭、(フランシスコ会など)修道会総会長など、2)大臣。動詞としては、1)聖職にある、牧師をする、2)召使の役をする、仕える、尽くす、(病人などの)世話をする、面倒を見る、役立つ、という意味になります。

 欧米では、政教分離の原理が進んだとしても、もともとは、ミニスターは、「神に仕える」という意味であり、「国家や組織を超越した存在に仕える」という意味があることが言葉に含まれていることを忘れてはいませんね。

 かたや、日本。国やムラを超えたものがありません。加藤周一さんによれば、日本社会と文化の特色は3つあると言います。加藤周一さんは、「競争的集団主義、世界観の此岸性、超越的価値の不在、その時間軸への投影としての現在主義…また、極端な形式主義と極端な「気持」主義の両面を備えた価値の体系が、典型的な日本人の行動様式の典型」といいます(「日本社会・文化の基本的特徴」『加藤周一コレクション5 現代日本の文化と社会』p.34)。ですから、国やムラを超えたものに奉仕する、役立つ、という発想は非常に弱い、ないしは、皆無のなりやすい。それだから、組織や国の長たる者は、「ミニ」ではなくて、「大」になるのだと考えます。「大」だから、「自分は何でもできる」、などと必ずしも思わないでしょうけれども、「大」が「数」を得た場合、「『数』があるうちに、何でもやろう」ということが生じてくる、これが安倍晋三首相の今やってることの実態だと考えます。すなわち、「強い者」、アメリカには、愛玩犬よろしく尻尾を振るけれども、「弱い立場の人」、こども、女性、高齢者、障害者、沖縄、東北には、高飛車な態度をとっているのだと考えます。そして、その政権下の「お役人」と「お役所」も同様な態度なんだと考えます。

 その中にあって、敢えて言えば、「憲法」が唯一、国やムラを超える可能性を湛えている存在と言えるでしょう。立憲主義とは、≪超越≫的価値に道を開く可能性があるからです。ですから、この、どうしようもないナチズムの安倍晋三首相とその政権下の動きに対しては、常に憲法を生かす姿勢で対処することが何よりも大事になる、と私は考えますね。

 

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