民主化のためには、間違いや「腑に落ちないこと」に対して、ハッキリ「NO」と言う姿勢が大事です。
Young Man Luther 『青年ルター』p.218の 下から3行目途中から。
言い換えによって、私どもの、自分の最前線(訳注:無意識)を感じる感覚が瞬時に鋭くなる範囲で、その言い換えは生き残ります。その言い換えが、たとえ、次の時代には誇張される焦点になったとしても、です。ルターがwork 「仕事」とworks 「業績」について語る時、宗教に関して、自分の中で為すべきことと思っていること(あるいは、払うべき献金)を、実際にどれほどやってるのか(どれだけ払っているのか)?と人に問う雰囲気に抗して、ルターは語りました。ルターは、業績に抗して語り、宗教的ミセカケに抗して語りました。宗教的なミセカケなど、献身する身の本質にも特質にも、何の関係もありません。
恵みになるはずの物事が、自分の業績によって、手に入れるものにすり替わる。慎み深い生き方の基になるはずの物事が、人を傲慢不遜にしていまう元凶になる。ルターは、自分がビョーキであっただけに、そのミセカケとゴマカシを嗅ぎ分ける鼻を持っていたわけですね。
いまもピスティスとは、本来関係ないことが、さも、「昔からこのやり方が正しかったのです」と言いたげに、道の真ん中を歩いている場合が非常に多い。そうすると、本物は横道・脇道に入って行ってしまって、世間様から見づらくなってますから、その点にどうかご注意くださいませ!
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