悦びの伝染神様の愚かさは、世間的にはバカに見えるけれども、本当は実に考え尽されて、うまくできてます。神の弱さも、世間的にはミジメに見えるけれども、本当は実に人の心を慮っていて、温......
礼拝と言っても、お寺や教会、お御堂でする話しじゃぁ、ありません。自宅で毎日する礼拝です。Toys and reasons: Stages in the ritualization of experience.から。
お母さんと赤ちゃんが、最初の礼拝で、これまで申し上げたように、出会うならば、その赤ちゃんは、生きる上で欠かせないいろんなニーズやら、必ず必要なことを、まとまりのあるものにすることができます。その結果、そのお母さんからいろんな世話をされることによって、もともとはバラバラな経験が、一貫した経験になるのです。…お母さんは、1人の赤ちゃんのお母さんに、そのお母さんならではのやり方で、ならなくてはなりません。このようなお母さんに、そのお母さんは、心配のために逃げ出すこともなく、自分がやらなくてはならないルーティーンや役割に対して「ホント腹立つ」という気持ちを、大なり小なりガマンして、なるのです。母親として世話することに対して、前向き肯定的なイメージが、自分の社会や文化の受け継がれ、認められる一方で、母親として世話することに対して、後ろ向き消極的な母親像の要素もあります…。
ここに、発達トラウマ障害(DTD)の子どもと共通するものが出てきますね。すなわち、心配のために逃げ出すことと、「ホント腹立つ」という気持ちを、大なり小なりガマンするです。前者が抑制タイプの発達トラウマ障害(DTD)、後者が出来ずに怒りが爆発しやすくなっているのが、脱抑制タイプの発達トラウマ障害(DTD)です。
毎日毎日の最初の礼拝で、お母さんが、前向き肯定的なイメージをもって、赤ちゃんから、心配にために逃げ出さないで、「ホント腹立つ」という思いをガマンして、悦んで赤ちゃんと関わることができたら、発達トラウマ障害(DTD)に子どもがなることはありません。
今のニッポンで、これだけ発達トラウマ障害の子どもが溢れているということは…!!
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