エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ : 最初の礼拝

2016-07-12 07:42:42 | 聖書の言葉から

 

 

 
悦びの伝染
  神様の愚かさは、世間的にはバカに見えるけれども、本当は実に考え尽されて、うまくできてます。神の弱さも、世間的にはミジメに見えるけれども、本当は実に人の心を慮っていて、温......
 

 礼拝と言っても、お寺や教会、お御堂でする話しじゃぁ、ありません。自宅で毎日する礼拝です。Toys and reasons: Stages in the ritualization of experience.から。

 

 

 

 

 

 お母さんと赤ちゃんが、最初の礼拝で、これまで申し上げたように、出会うならば、その赤ちゃんは、生きる上で欠かせないいろんなニーズやら、必ず必要なことを、まとまりのあるものにすることができます。その結果、そのお母さんからいろんな世話をされることによって、もともとはバラバラな経験が、一貫した経験になるのです。…お母さんは、1人の赤ちゃんのお母さんに、そのお母さんならではのやり方で、ならなくてはなりません。このようなお母さんに、そのお母さんは、心配のために逃げ出すこともなく、自分がやらなくてはならないルーティーンや役割に対して「ホント腹立つ」という気持ちを、大なり小なりガマンして、なるのです。母親として世話することに対して、前向き肯定的なイメージが、自分の社会や文化の受け継がれ、認められる一方で、母親として世話することに対して、後ろ向き消極的な母親像の要素もあります…。

 

 

 

 

 

 ここに、発達トラウマ障害(DTD)の子どもと共通するものが出てきますね。すなわち、心配のために逃げ出すことと、ホント腹立つ」という気持ちを、大なり小なりガマンするです。前者が抑制タイプの発達トラウマ障害(DTD)、後者が出来ずに怒りが爆発しやすくなっているのが、脱抑制タイプの発達トラウマ障害(DTD)です。

 毎日毎日の最初の礼拝で、お母さんが、前向き肯定的なイメージをもって、赤ちゃんから、心配にために逃げ出さないで、「ホント腹立つ」という思いをガマンして、悦んで赤ちゃんと関わることができたら、発達トラウマ障害(DTD)に子どもがなることはありません。

 今のニッポンで、これだけ発達トラウマ障害の子どもが溢れているということは…!!

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人間らしく、自分らしく生き... | トップ | 処世のおきて »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿