ルターは毎日説教をしました。毎日ブログを更新する人もいます。
Young Man Luther 『青年ルター』p198の第2パラグラフから。
ルターにとって、心の中の囁き、本気の声、心の中でやり取りする声は、一種のサクラメント、典礼になりましたし、その声は、キリストの体が神秘的に現れることと同然であるか、それに匹敵することにさえなりました。ルターは、自分が何年もの間、苦しんだおかげで身に着けた、本音の(実態のある)信頼を、福音として伝える伝道者である、と自認していたことに、間違いありません。すなわち、自分の中で育まれた好意を言葉にしたいので、プロの話し手と競いたいなどと言うのではなくて、どんな人でも分かるように、市民の人々に向けて話したいと願いました。「あなたは説教しなければならない。母親が自分の子どもに乳を含ませるように、かみ砕いて説教しなくてはならない」とルターは言っていました。
ルターは自分が病んで学んだことを、市井の人が理解できる福音、実体のある信頼として、本音の信頼として伝えたのでした。ですから、その福音を耳にした人は、自分のことが語られていること、そこに本物の悦びがあることを実感したはずです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます