遊びには、なぜ治癒力があるのか?
治癒力がバラバラなものをまとめる力だとすれば、昨日の「ぼんやり」と同様に、遊びは自分に関する何らかの作業をして、自己認識、見当識、記憶を作り変えている、ということになります。実際問題、遊びは、そんなに難しいことをしているのでしょうか?
遊びで最もよくあるパターンの一つは、自分が受け身で体験したことで、受け止めきれずにいたことを、遊びの中で能動的に繰り返す、というパターン。そのパターンの中でも最もよくあるパターンは、イナイ・イナイ・バーとそのバリエーション。これは、お母さんが自分の目の前からいなくなる、という受け身の体験の中で、繰り返し、悲しみやら不満やら、あるいは、「またいなくなっちゃったら嫌だな」という恐怖やら、恐れやら を味わったとするならば、子どもの方がお母さんの前から、いなくなったり、距離を取ったりすることを通して、能動化するパターンです。これは非常によくあるパターンですね。
その時には、「置いてきぼりの自分」やら、「相手にされない自分」にべったりくっついた、悲しみ、不満、恐怖、恐れなどを、能動的な遊びを繰り返して、お母さんを繰り返し見失い、再び繰り返し発見するという遊びをすることで、悦び、満足、納得、愉しみなど、肯定的な気持ちに置き換えていく作業です。
ですから、遊びも、ぼんやり同様、自分自身、見当識、記憶に関わっていることが分かりますでしょ? 遊びもぼんやり同様、「そこ遊んでない」などと注意されがちですが、ドッコイ、単なるお勉強にはない、奥深い「立派な働き」があることが分かります。
さう、今日も大いに遊びましょうね。
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