エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#信頼する心の習慣の人  と  #悪の心の習慣の人 

2018-07-21 03:10:16 | エリクソンの発達臨床心理

 
#日常生活の奇跡研究:#人類皆兄弟に近付く
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 Identity and the life cycle  『神様と一心同体になること と 神様の命が一巡すること』 p.66の,第3パラグラフ,下から3行目途中からです。 その前も,ご一緒に。




 復活して生きる課題に対する見方は,それぞれですが,精神科医,産科医,小児科医,人類学者のみなさんでしたら,この人たちには親近感を覚えますが,きっと賛成してくれると思います,「聖書の神様を根源的に信頼することが,迷って不信に傾くよりも,いつでも勝っている心の習慣(訳注:安定的な愛着)を不動にすることこそが,赤ちゃんの最初の(訳注:神様が課した)義務ですし,したがって,お母さんが赤ちゃんを心から大切にするために,一番初めにしなくてはならない義務でもあります。「聖書の神様を信頼する信頼が育つ」のは,赤ちゃんの頃の経験からですが,「食べ物や,大切にしていることを態度で示すこと」の絶対量で育つものではありません,むしろ,お母さんが2度生まれで復活していて,「どれだけ心から優しいか」次第で育つものです。お母さんたちが,子ども達の中に,慎ましい世話人としての心からの優しさによって,創造します。お母さんの慎ましい世話人としての,心からの優しさは,赤ちゃんひとりびとりのその子ならではのニーズに敏感に応えて大切にすることと,自分の仲間の生き方の,信頼できる土台の中で,自分には値打ちがあると堅く信頼していることの2つを1つにした優しさです。聖書の神様を信頼する心の習慣は,その子どもの中にある,聖書の神様と一心同体になって,自分が確かにされる心の習慣の土台です。この自分が聖書の神様と一体になって不動にされる心の習慣は,「大丈夫」と実感する心の習慣「腑に落ちる」と実感する心の習慣「そんな人になると他の人たちが信頼している人になれる」と実感する心の習慣を,一体にしたものです)。親たちは,「ダメでしょ」と「いいよ」と言って教える生き方だけではなくて,自分がやっていることには,1つの意味がある,ということに対する,深い,ほとんど身体に滲み出るほどの確信と言っていいほどの確信を,その子どもに示さなくてはなりません。この意味で,先祖から伝わってきた,聖書の神様を信頼して歩む中で,子どもを心から大切にして,真の平和を実現する全体像(訳注:神の国で神様の命が一巡している全体像)は,信頼を生み出す唯一の光です。ただし,この先祖から伝わった聖書の神様を信頼する歩みも,形ばかりのいろんな偽物になると,偽物の一つを取り上げただけでも,理に合わない上に,不必要でもある苦しみを子どもにもたらすことになるように思われます。ここで,ことを大きく分けるのは,先祖伝来の一つ一つを,親が子どもに強いるのが,先祖伝来の,聖書の神様を堅く信頼して「これこそ正しい生き方だ」と信頼する信頼からなのか,それとも,親が,赤ちゃんや子どもを管理監督することを取り違えて,自分の怒りをぶつけるため,不安を減らすため,口げんかに勝つために,子どもや他の人たち(義母,医者,聖職者)を道具にしているからなのか,親がどちらを選択しているかの差からです。

 変化の時代の中で(他にどんな時代が,私どもの思い出の中にあるのでしょうか),1つの世代が別の世代とが大きすぎて,先祖伝来の教えの一つ一つが,心乱すものになる場合が多い。母親の生き方が,自分の生き方とぶつかり,体験から学んだものの見立てが母親の生き方とぶつかり,体験から学んだものが引用する聖句が,自分の身勝手な生き方とぶつかりますから,このように様々なぶつかり合いがあると,母親は自分を信頼する信頼が心乱されることになる場合があります。しかも,アメリカ人の暮らしの中で起きた,大規模な変化(移民,移住,アメリカ化,産業化,都市化,機械化,など)によっても,母親たちは,ウソがなく,しかも,天国にまで至る,聖書の神様を信頼する信頼を赤ちゃんに伝える母親のお勤めの点で,心乱されやすくなっています。ですから,当たり前なことだといえるのは,ベンジャミン・スポックの(1945年の)本の第一章第1節のタイトルが「自分を信頼しなさい」であることです。しかしながら,体験から学んだ産科医や小児科医が,伝統が人々の絆を結び付けてきた代わりに,母親たちを安心させる言葉と道しるべを与えていることは確かでも,母親たちが,迷い,恐れ,怒り,言い争いすべてを告白するのを,心から聴き容れる司祭役をする暇がありませんね。どなたかが,母親たちの苦しみ心から聴き容れる(訳注:痛み,苦しみ,寂しさ,悔しさ,怒りを知っている仲間となる)司祭役になることは,一人ぼっちの若い母親たち心を満たすことができます。スポックのような本が一冊でも,(訳注:お母さんたちの)学習会で読まれる必要があるのかもしれませんよ。その学習会では,市民集会がスピリットを誠実に学びあうスピリットが創造されますから。つまり,その学習会では,母親たちがやる様々なことは,誰かがそういうから,良しとされるのではなくて,自分勝手な判断や的外れなことから自由に,様々な意見や様々な気持ちを言えて,良しとして下さるし,また,心からやさしい,神様の意志が,母親たちがやる様々なことを創造する場が1つできから,良しされるわけです。

 この章は長くなり過ぎです。ここで論じている様々なことに関して,赤ちゃんから始めなくてはならないことは,残念です。赤ちゃんのことはほとんど分かりませんし,人間の心の深層についてもほとんど分かっていないんですから。しかし,創造的な(訳注:日常生活を礼拝にする)礼拝をすでに論じ始めていますから,子育てに関する世代から世代へと手渡しされてきた最高の習慣について一言申し上げなくてはなりません。この子育ての最高の習慣は,信頼を生み出すもの,すなわち,宗教と深く関係しています

 これこれの言葉で,これこれの毎日の礼拝で,こう告白すべきだとか,こう告白すべきじゃないだとか,こうすべきだ,こうすべきじゃないだとかは,心理学者がわかるものではありません。むしろ,スピリットを日々礼拝する者が問わなくてはならないことは,礼拝をしながら,宗教や先祖伝来の言い伝えが,聖書の神様を信頼し確信することから生まれる,心からの優しさを創造する,生きた確信が,ウソのない空っぽの真心の中に満ち満ちているのかどうか,ということです。この生きた確信がお母さんの人格に染み渡ると,その子どもは,世の中はうまくできてるね,と聖書の神様を信頼する根源的信頼感を,繰り返し元気づけることができますからね。心の痛みを知ったものは,見逃せにできないのは,宗教がないことに本当は満足できずでいる人たちがごまんといる,ということですし,宗教がないことを自慢しているのは,空元気という人もごまんといる,ということです。方や,宗教の教理以外から,すなわち,仲間,仕事,社会的活動,学問,芸術から,聖書の神様を信頼する信頼を引き出している人もたくさんいます。また,口では,自分は聖書の神様を信頼しているといいながら,実際には,人生も人も信頼していない人も,ゴロゴロいますでしょ。こういったこと全てを頭に入れると,よく考えてみるに値すると思われるのは,宗教が何世紀にも渡って,聖書の神様を信頼する信頼の形で,いつくかの間隔を置きながら,信頼する心の習慣を回復するのに役立ってきた,ということです。ただし,宗教は,呪われる約束の悪の心の習慣に,分かりやすい形も,示しています。


 

 信頼する心の習慣,聖書の神様を信頼する信頼によって,繰り返し回復した,という事実の重みですね。エリクソンは,自分が不動にされる心の習慣は,究極的には,聖書の神様と一心同体になるしかない,いうくらいですから,信頼する心の習慣は,聖書の神様と不可分です。

 他方,悪の心の習慣も,悪といっても分かりづらいので,たとえば,よきサマリア人の逸話にあるみたいに,良い話を皆の前でしても,傷ついている人を見て見ぬふりをする人は,「悪」ですよ,と,手に取るように分かるようにしています,とエリクソンは言います。

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