「ヘセド、hesed」。ヘブライ語です。日常生活ではまず出合わないこの言葉について、今日はお付き合いくださいね。
私は、大学生になってから教会に通い始め、大学3年の夏に決心して、西村秀夫先生の集会(無教会、内村鑑三の流れをくむキリスト教)に加えていただきました。その時から、キリスト教徒として生きようと心の決めて生きてきました。現実には、さまざまな紆余曲折があり、数々の挫折、失敗がありましたが、何とか信頼を捨てずにやってまいりました。西村先生の言葉を使えば、「神様に首根っこを摑まえられたもの」として生きてきました。まるで猫でしょ。
以来30年程。しかし、この「ヘセド、hesed」を「なるほど」と合点したのは、ごくごく最近のことです。信濃町にあった真正会館で、雨宮慧先生が教えて下さった「旧約聖書入門」に通って、ようやく、「ヘセド、hesed」のことが分かった感じがしました。
雨宮慧先生が教えて下さった、「ヘセド、hesed」は次のようなことです。ヘセドは、まず「契約」に基づいていると言います。でも「契約」という言葉は、日本語では特別な意味を帯びますよね。不動産を購入したり、部屋の賃貸契約をしたり、…。日常会話で使うようでいて、それほどでもない。新約聖書とか旧約聖書とかいう場合の「約」は、この「契約」の意味だとされます。でも、雨宮先生は率直です。「普通は、『約束』と言います」と。
そして、「ヘセド、hesed」。人と人が「約束」をするときには、「友好的態度」があるけれども、この「友好的態度」が、「ヘセド、hesed」。そして、人間関係を緊張関係へ、さらに衝突にまで発展させないためのものです。この「友好的態度」は、「心構え、心のあり方」であると同時に、「行動に現れた態度、実行」でもあります。つまり、≪イメージ≫と≪態度・実行≫の一致です。ですから、「ヘセド、hesed」は「関係に対する誠実さ」でもありますね。
子どもが信頼を育む根源こそ、この「ヘセド、hesed」=「関係に対する誠実さ」、それを表わす「≪約束≫に忠実であること」なんですね。
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