ヴァン・デ・コーク教授は「クライアントはリラックスして、笑顔になり、「やったぁ」(あるいは「出来たぁ」)という感じになりますもんね」と言ってますでしょ。本当にそうなんですね。特にクライアントが子どもの場合は、嬉しくて嬉しくてたまらないので、自然に体が動き出して、ピョンピョン飛び跳ねますからね。あるいは、「出来たぁ」って言いますもんね。昨晩、そんな翻訳をしてましたら、早速、昨日の学校でプレイセラピーをしている子が、そのヌミノースの悦びを、「出来たぁ」と言って、ビョンビョン飛び跳ねて、「預言通り」になりましたもんね。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.220の、第4パラグラフから。
有無を言わせない力に、仕方なく甘んじている時、それは虐待されている子どもたち、家庭内暴力に晒されている女性たち、男でも女でも、獄に繋がれている人達にも、当てはなるものなんですけれども、こういう人達は、「もうダメだぁ」と、自分の人生を生きることを諦めて、人の同調しながら生きてる場合が多いでしょ(訳注:圧倒的多数の日本人がこれです)。諦めて生きるこの根深い生き方を克服する、最善の方法は、人と関わりを持ち、自分を守る体力を回復することです。上手に戦い、上手に逃げる応答が出来るようにする、身体志向の、私の好きなやり方は、私が住んでる地域のあるインパクトセンターがやっている「強盗プログラム」なんですね。その「強盗プログラム」では、女性たちが(次第に、男性たちも)強盗のお強いられるのを上手に撃退することを学びます。
アメリカ人が好きなやり口ですね。強盗に入られて、平常心でいられる人は、そうそういませんでしょ。それが平気でいられるようになり、むしろ、強盗に一泡吹かせることが出来るようになったなら…。
発達トラウマの、有無を言わせぬ力も、強盗みたいなもんでしょ。それで、強盗プログラムで練習する、という運びになっているのですね。
でも、諦めて生きる生き方を克服する最善のやり方が、体力の回復だというのも、アメリカ人的プラグラディズムなのでしょう。
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