夜明け:悪い良心からの解放 改訂版ルネサンス期は、人間性を解放したまでは良かったのですが、振り子が触れすぎる危険が常にありました。 Young Man Luther 『青年ルター』p193の6行目から。...
重たい発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもは、その母親も(そして、おそらく父親も)発達トラウマ障害が重たい、ということはよくあります。その母親は、覗くに覗けない怖い自分が一人いることを、うすうす感づいていますが、実際はその自分から逃げ回っています。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.248、第5パラグラフから。
トラウマを負わされた人たちは、理屈の合わないいろんな考えがあるに違いありません。「私が魅力的だったらいけなかったの」、「他の皆は、怖がらなかった。その男たちもホントにいたんだもん」、「その道を通るんじゃなかった」。こういった考えは、認知的なフラッシュバックとして治療することが一番望ましいのです。皆さんは、その人たちと論じ合わないようにするのは、ひどい事故をフラッシュバックして思い出している人と議論しないのと同じです。そういったものは、トラウマの元になる事件の残りカスですし、この人たちが考えていることは、トラウマが起きた時か、起きてすぐ後に起こるものですが、ストレスの大きい状況で反応を起こします。その治療には、EMDRや、この後の章のテーマによってなされます。
フラッシュバックといえば、視覚的なものと思いがちですが、考えも、フラッシュバックになり得るのですね。これまでにも、ヴァン・デ・コーク教授が指摘していることと同様に、その治療には、EMDR等を用いると言います。
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