エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

圧倒的に「氏より育ち」の時代

2014-12-21 15:03:16 | エリクソンの発達臨床心理

 

 生物学や、後発の心理学においては、「氏」か? 「育ち」か? が長いこと論争になってきたみたい。生まれ持った資質、遺伝子情報が、大人になった時に影響力が大きいのか? これが「氏」です。それとも、生まれ育った環境、親兄弟、ご近所、国や時代の影響の方が大きいのか? これが「育ち」です。様々な議論や論争を経て、いまは、「どっちも」大事ということになってるみたい。

 でも、私は、いまここでは、今の日本においては、圧倒的に「氏より育ち」だと確信してんですね。ゴメンナサイね。

 それは、どちらに行っても、田舎でも大都市でも、お金持ちでも貧乏でも、両親が揃っていようが一人親家庭だろうが、知的に高かろうが遅れがあろうが、「愛着障害」の子どもが圧倒的に多いからなんですね。「それじゃぁ、環境は関係ないんじゃぁないの?」と思うかもしれません。しかし、現実は真逆です。

 地域性や経済状態、家族構成が関係ないくらい、時代性が圧倒的なんですね。じゃぁ、その時代性とは何か? つまり、それは、いま現在の日本人は、ヴィジョンがないまま、日々の生活に右往左往して、しかも、「人間らしい暮らし」からはほど遠く、人間の尊厳が踏みにじられるような暮らしをしている、ということですよね。本当に大事な「眼に見えないもの」の価値をないがしろにして、「おカネ」と「組織」を神の座に着けている偶像崇拝のみじめな結末だと、私は見なしています。

 月に何十時間もサービス残業をするけれども、ゆっくりと夕食の食卓を家族一緒に囲む時間はない。職場で、地域で、自分の思い、自分の意見を率直に言わずに、上司や周囲の顔色を伺いながら、「ヤクザナ奴」には、お愛想笑いしながらペコペコする毎日。忙しいから、地域や国政で、政治屋の皆さんや大企業の「お偉いさんたち」が自分勝手、手前勝手なことを、市民や国民や消費者に「ばれなきゃぁ、いいや」とばかりに、私利私欲を追及していることもチェックしきれない。したがって、権力を批判しきれない。「どうせ誰がやっても同じ」とあきらめムード。「とにかく一円でも多く稼がしてくれるなら、後のことはどうでもいい」という感じ。

 ですから、子どもの事、弱い立場の人、被災地や、放射能汚染された地域のことは、二の次、三の次。

 その一つの結果が、小学校で溢れかえっている「愛着障害」の子どもたち、子どもたち、子どもたち…。

 時代の、あまりにも「貧困」とあまりにも「非人間性」の結果、割を食っているのが子ども。

 生まれ持った才能や遺伝子情報の差を無視できるくらいの、圧倒的な「氏より育ち」の、極めて「貧しく」、極めて「人間らしさから程遠い」、今の日本の現状です。ですから、

 

 

世の中を変えて生きましょう。

自分の今の人間関係を変えて生きましょう。

 

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