エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

聖書の言葉: περιπατῶ,ペリパトー,1つの生き方を生きる

2017-05-08 02:18:24 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
希望と勇気の身に着け方
    苦しみの果てに、人の役に立つ恵みがある  ルターは、慈しみ深い母親のような気持で説教をしていたのでした。 Young Man Luther 『青......
 

 今宵の聖書の言葉はπεριπατῶ,ペリパトー,歩き回る,1つの生き方を生きる,です。この言葉は,περί周りを+πατῶ歩く の合成語,周りを歩く,がもともとの意味ですね。

 この言葉は,『新約聖書』のパウロさんの一番古い手紙「ガラテア人への手紙」第5章10節に出てきますね。

16わたしがいいたいのは、霊によってお歩きならば肉の欲をとげないですむということです

 カトリック神父の井上洋治さんは,この箇所を

風に己を任せ切って,お生きなさい

おみ風様に己を任せ切って,お生きなさい

 と訳しておいでです。 

 風ですから,動いている空気のことですね。「霊によって」と前田護郎先生が訳しているのは,プネウマの副詞です。日本語で「風まかせ」と言ったら,「自由気ままに」,あるいは,「身勝手に」と言う感じかもしれませんね。でも,プネウマの副詞は,「霊によって」は,「自由気ままに」,でも,「身勝手に」でもありません。

 宮沢賢治風に言えば,風には「透明な力」があります。そして,何よりも「かすかな語りかけ」があります。したがって,その「かすかな語りかけ」に心の耳を澄ませて,聴き従う感じと,自力に頼るのではなくて,「透明な力」を信頼する感じが,必ずありますね。

 外から見ていたら,「霊によって」と「身勝手に」の区別は難しいかもしれませんね。とくに,体験的に,その人格的な関わりを知らない場合は,外から見ていただけでは,2つの区別は,分からないのが普通です。

 でも,ご当人はハッキリ違いが分かります。自力だったら,調子が良ければいいですけれども,調子が悪くなれば,不安でしょ。「透明な力」に信頼している場合は,なんとなく,ウキウキした気分,晴れ晴れした気分がありますからね。矢内原先生は,生真面目ですから,厳粛さを強調しますけれども,それだけじゃないですね。もちろん,一方で厳粛さが確かにあります。その点で,矢内原忠雄先生のおっしゃることは正しい。でも,それと同時に,ウキウキと晴れ晴れもありますよね。ですから,冷汗三斗の気分じゃなくて,胆大心小(たんだいしんしょう)に生きることになります

 


 

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