ルターも、フロイトも、見つめられるのが苦手でした。
Young Man Luther 『青年ルター』p196の最後の行から。
マルティンの立ち居振る舞いが、修道士に求められた柔和さと次第次第に矛盾するようになりました。実際に、マルティンの身体は、もたれかかるように見えたので、マルティンの額は、横柄に空に向いていました。マルティンの首に乗っかった頭は、広い肩と熱い胸板の間にありました。ドイツ選考帝のチャプレンと顧問のスパルティンのような人ですと、マルティンをもろ手を挙げて称賛する者もありました。また中には、ドイツ選考帝、フレデリック賢明王自身のように、マルティンがいると、落ち着かない感じの人もありました。ルターと選考帝は、時にはご近所に住んでいたと言われますが、後年になると、その狡猾な駆け引きと軍事的な保護のおかげでルターは死なずに済んだのですが、「個人的な会って」話をしたためしなど一度もありませんし、選考帝にしても、ルターの説教を聴いたためしがありません。ときには、ルターの説教はフレデリックや他の選考帝たちを批判する場合もあったのでした。
ルターはずいぶんですね。でもね、保護してくれる選考帝に、単に取り入ろうとするのではなく、批判すべきは批判したのがルターでした。じゃないと『キリスト者の自由』が泣くでしょ。
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