エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

キリスト教の英雄時代

2015-01-28 11:46:19 | アイデンティティの根源

 

 ルターに影響した価値とは何だったのか?

 p178の第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 キリスト教にも、すべての偉大なムーブメントに似て、英雄時代がありましたし、キリスト教は繰り返し、神話の正当性として、その英雄時代を人々に訴えましたが、その英雄時代を永遠に取り戻すことなど、ほとんどできませんでした。

 

 

 

 

 

 エリクソンが言う、キリスト教の英雄時代とは、パウロの時代のようですね。英雄パウロがキリスト教会を指導した時代。エリクソンは、パウロの指導の何が価値アリ、と見ているのか? 今後か楽しみ。

 

 

 

 

 

 

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#レイチェルカーソン が #心の底から信じていることは?

2015-01-28 06:09:57 | 間奏曲

 

 子どもにとって大事なのは知識じゃぁない。だから、大人が自然についていろいろ知ってる必要はないらしい。

 p55の8行目途中から。

 

 

 

自滅的な気分で、親たち言います。「自然界のことを子どもに教えるなんて、とてもできないよ。鳥の区別もできないのに…」と。

 私が心の底から信じているのは、子どもにとってはもちろん、その子どもの相手になる親にとっても、知ることは感じることの半分も大事じゃぁない、ってことですね。

 

 

 

 レイチェル・カーソンの神髄ここにあり。

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自分の人生の主人公であるためには?

2015-01-27 14:53:00 | エリクソンの発達臨床心理

 

 人生の主人公。さだまさしさんの優しい歌声で聴く「主人公」https://www.youtube.com/watch?v=rSlafdy2Lzg

のなかに、「自分の人生の中では、だれもがみな主人公」というフレーズがありますね。どなたでも、自分の人生においては、主人公は自分自身でありたい、と願うものだと思います。

 では、どうすれば、自分の人生において主人公であり続けることができるのか?

 問題になるのは、いつでも「受け身の体験」です。「自分は母親から、大事に育ててもらえなかった」、「アル中の父親から、いつも殴られた」「クラスメートからずっと虐められた」…。そのような「受け身の体験」には、かならず、悲しみや痛み、苦しみや寂しさといった一時的感情のみならず、繰り返し、繰り返し、同じ「受け身の体験」をすることを通して、「激しい怒り」、「殺したいと思うくらいの憎しみ」さえ伴うものです。そして、そういった気持ちは、一生涯、心密かに抱き続けることになります。

 人生のおいて、困難なことや逆境に出会う時、その「受け身の体験」にベッタリと付きまとう、悲しみ、不満、寂しさ、さらには、「激しい怒り」や「殺したいくらいの憎しみ」が未解決のままでいると、直接出合った困難や逆境が、さほどではない場合でさえ、かつて体験した「受け身の体験」にくっついている「激しい怒り」などの激しい情動までが、自分の意識のコントロールができない形で、吹き出してしまう、ということがよくあるパターンです。これには、自分の意識や意志とは無関係な、自動性がありますから、「思わずそうなってました」「知らないうちにそうしていました」ということになります。

 これでは、自分の人生の主人公だ、と言えません。

 大事なのは、その「受け身の体験」に伴う「激しい怒り」と「殺したいと思うほどの憎しみ」のカタルシスです。その気持ちを解消しておくことが大事になります。

 世間で一番多いのは「仕返し」。復讐することです。学校の勉強の復習は、学びの定着のためには必要不可欠でしょう。ところが、自分の悲しい「受け身の体験」にくっついている「激しい怒り」などは、復讐しても、解消されません。カタルシスが起きないんですね。「激しい怒り」を解消するためには、「受け身の体験」をしてくれる相手が、悦んでその体験をしてくれることが必要なのに、「復讐」されて、悦ぶ相手はいないからですね。

 復讐とは違う形で、「受け身の体験」を「能動的に再体験する」ことが最も大事です。通常、子どもは「遊び」の形で、その「能動的再体験」をやります。たとえば、赤ちゃんの頃、母親が自分の眼の前からいなくなった、という「受け身の体験」。赤ちゃんにとって、眼の前から母親がいなくなることは、母親が死んだも同然。イメージを内在化できていないからですね。世界共通の「受け身の体験」です。それを解消するための遊びも世界基準。それが「イナイ・イナイ・バー」です。カクレンボや「だるまさんが転んだ」も「イナイ・イナイ・バー」の仲間。この遊びを親や友達と一緒にやることが、「受け身の体験」を「能動的に再体験する」ことに繋がります。心理臨床やカウンセリングもその遊びの延長です。

 私ども、子どもと係る大人は、子どもが「受け身の体験」を「能動的に再体験する」ことを支援するために、悦んで「受け身の体験」を担当するものでありたいものですね。

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価値の創造

2015-01-27 12:02:29 | アイデンティティの根源

 

 偉人は、時代の見方を先取りします。

 p178第2パラグラフ。

 

 

 

 

 時には、偉大な組織は、価値を生み出す過程を独り占めしようとしますし、安定したものにしようとしますし、コントロールしようとします。教会はそんな施設の一つでした。私はこの視点から、ルターの儀式と研究に影響を与える、主な価値の影響力について、改めて考えてみましょう。

 

 

 

 

 

 価値を独占していた教会。ルターの宗教改革は、価値を独占していた教会とぶつかり合らなければ、新しい価値を生み出せなかったことを示すものですね。

 

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子どもの心に応える大人

2015-01-27 07:53:05 | 間奏曲

 

 大人が不思議を感じる心を持ち続けるためには、自覚的な心構えが必要です。

 p55の4行目途中から。

 

 

 

 

 

両親が自分はダメだと感じやすいのは、1人の子どもが抱く、熱心で敏感な気持ちに出くわした時であり、複雑な自然界と出くわす時ですね。複雑な自然界にくらす、生き物は一匹でも、多様で、しかも、馴染みがないので、馴染みある秩序や自分が知っていることでは太刀打ちできないと感じるからです。

 

 

 

 

 星や動物、魚などのなまえも知らないし、ましてや、その法則や生態も分からない。子どもの好奇心に応えていけるか知ら…。そう感じることがあるでしょう。でも、カーソンさん、そんな心配はご無用、といいだけですね。

 

 

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