発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達にも、楽しい話しか、面白そうな話をするのが一番ですね。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.127、6行目途中から。
その子は何も言う必要がありませんでした。何も言いたくない場合のことです。伝えたくない話題が何かできれば、私は「ねえ、教えてよ」と伝えて、話題を変えます。何時でも、子どもは止めたいと思えば、会話も終了です。何年もの間、話したくない若い女性のクライアントが1人だけいました。しかし、その週末は、その女性がスタッフに語ったのは、「私が話ができる唯一の人は、『あのカーリーヘヤーの精神科医』よ」ということでした。
素人さんですと、「言葉にしたことが本人の言ったこと」、「一言も言わなければ、何も言ってない」という勘違いをしがちです。
でも、そんなことを言ってたら、精神科医も、サイコセラピストも、1日だって仕事になりません。「眼は口ほどにものを言う」ということわざがあるくらいに、「語らずとも、語っている」ということが山ほどあんですね。
特に、発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達は、自分を失っている子ども達です。自分の気持ちを言葉にすることが非常に難しく、言葉にした場合でも、親や教員などの大人が望んでいそうなことを言いがちです。いいえ、発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども等は、大人が望む言葉を、言わされている場合が実は多いことを、私どもは忘れてはいけませんね。