「《私》という感じ」と真実な関係仏道は自己なり 「仏道は自己なり」とは、浜松市半田山の龍泉寺参禅道場の門にある、道元禅師の言葉です。仏教も、非常に心理学的だと感じさせる言葉ですね......
Chilhood and Socirty から。p.82から。
お互いに自分で自分をコントロールするということは、ここで(訳注:一歳半過ぎに)一番苛酷な試練に出逢うことになります。もしも、外から加えるコントロールが厳しすぎたり、早すぎたりして、躾は子どもが自分のお腹や働きを自由な選択と自由意思でだんだんコントロールとようとするやる気をそいでしまえば、子どもは二重に反抗し、二重に負け犬になることになります。自分の身体(ウンチが怖くなります。それはまるで、内側に住んでいる敵のオバケみたいです)も、外も頼りないから、その子は、退行したり、偽りの前進をしたりして、自己満足のコントロールを満たさざるを得なくなります。
今のニッポンには、退行している人も、偽りの前進の人もごまんといますね。
偽りの前進をさせられた人たちは、いずれ必ず「退行」しますしね。だいたいそういう子どもが、私どもサイコセラピストにお鉢が回ってきますしね。
あるいは、子どもっぽい大人たち、あるいは、ウソとゴマカシだらけの、大人になり切れない大人たちが多いのも、「偽りの前進」の成果です。