普通に考えると、実は怖い話である。
「姫君が浚われた!奪還の為には難攻不落の要塞を攻略せねば!」
…それ、攻略してる間にもう手遅れに成らない?
スーパーマリオ位に抽象化された状態なら、実際には「夫が朝から出勤して、仕事を熟し、自宅に帰ってくるまで」の困難を、クッパ大王と言う社長の命で妻と別れ出社させられ、苦闘を経て仕事を終え、社長の納得を経て帰宅、妻と再会、と言う絵に変換、それをゲーム内容に反映している…と言う言い方は出来るのだけど。
今の3Dパワーは、”そう言う視点”をゲームに持ち込めなくなっている…と言う変化は、実は有って。
ともかく、リアリティを問われたらもう、浚われた姫君は手遅れだ。
それを加味して、ゲームのストーリーは構築せねばならない、と言う事には成る。
それ無しに、スーパーマリオをトレースするのは基本的には悪手にしかならない。
…と言う訳でこの場合、むしろ浚われた姫君が脱出するゲーム、の方が希望的だ。
「それじゃ意味がない!」
何処かギャグ漫画の如くスラップスティックに迷路を攻略していくたくましい姫君、と言うのも、趣味が分かれる所ではある。
勿論どうしても、”これ”を「技術的にヘタだ」と言う理解に出来ない、その方が深刻かもしれない。特に漫画的に面白い話は、ゲームに使うとほぼ無意味になる。ゲームとして適当な話と、漫画として適当な話はやっぱり全く違うのだが、この辺の理解も一般的とは言い難く、明確な技術して認識してるのは…自分位かもしれない。両方を兼用し得る物語、それはかなり、レアだ。
目的に対して適当、という問題も重い。
これらの混沌を前に、先へ進めない創作者、そう言うのも多分多い。
ともかく今もまだ、「王の権威」その技術?は大っぴらに使えるモノじゃ無く。
”それ”は或いはでも、平成の破綻、その引き金さえ呼びかねないのだ。
創作の利益性、それはそこに有りつつ、今もまだ、遠い。