一応、期待されるか、或いは現実は有る。
非常に、偶発的とは言え良い例だった、感じ。
キャラクタ―デザインA キャラクターデザインB
Aは、「ゾンビリベンジ」の”リンダ”を直した?モノ。
Bは、恐らくはそのAを主観的に「より良く」したモノ。
そして、「ゾンビリベンジ」この作品は、「トランディ」登場の「ミア・ラグフォード」このキャラを、B傾向で描いた「リンダ」と言うキャラクターデザインを土台に創った作品。
「ゾンビリベンジ」は、酷い失敗作に成ってしまった。
何故なら、結論で「パクリだった」から、だ。
その時、何故彼らは、Aでは無く、Bを選んだのか?
「中華思想の皇帝が、Bを指定したから」だ。
20年近く、業界は特に、”これ”で進んでしまって。そして、彼らは”その皇帝の意向に抗えなかった”訳だ。
現状、王の権威も、中華思想の皇帝も、それを支持した朝鮮王朝の末裔も、居ない。
中華思想の皇帝、それを支持した「評議会の議長」、人事権を持った存在?は、今は責任を取られ失脚、権限?は”ここ”に移動してて。
なら彼らは今、何を恐れる事に成ったか?だ。
その意向は今、言う。
今後はAの方を選ぶ様にして下さい。
”それ”を要求して、特に何かを罰する、と言う事も無いまま、この話はここでお終い、かもしれない。
手ぬるい。
彼らは、幾ら損害を出したと思っているのか?
…それは、感情論的には納得もするのだけど。
ただ?”この意識が”現実問題、「ガンダムビルドダイバーズ」あの破綻を容認した、と言う現実も、どうも、同じく有って。
それを言い出すと、収集が付かなくなる現実もそこに、どうもある。
自分の中にも、微妙にBを選ぶ感覚は、残る。
とは言え、原理的な問題は、自分が”それ”を選ぶ、そこに有ったかもしれない。
MMD動画なんかは、実際には殆ど?か、程度はともかくB側で創られてるのだ。
視る分には何だか、面白く見てしまう自分が居る。適当な範囲を守るなら、一理は有るのだ。
ただ、かなりはっきりした事で、「被せ」それはお金に成らない、幾ら評価されても、だ。
利益を期待するなら、この方向性は程度モノ、だ。それは今、断言できる状況はある。
Bを描く意識が有り、そして選ぶ感覚が有って。
この悪魔はそこに居た訳だが。
「反逆者」それは決して消せない存在だ。
そしてそれは、描く側と認める側、その狭間に居た、何かの概念的なモノだった?訳だ。
そう言う物かもしれない。