社長は、変わったのだ。
ただ、各部署が言う事を聞かないだけだ。
多分、そんな状況。
状況に変化があるんだが、イマイチ良く解らない部分は重い。
皇帝は「大賀さん」その存在により存在する理由と資格を失った。
DOS/Vは、加害の賠償として、その所有権を取られた。
…まあ確かに、DOS/Vは壊さない、その管理者を替えるだけで良い、それは正論。
軽犯罪の重過失その設定により、確信犯それは相応の罰を受ける様になった。
内需拡大策が理屈で定理化している結果、危機を煽ってのごり押しは出来なくなった。
「大賀さん」があり、その上では?今の所、元「王の権威」側…その物語は、強い。
ストリードに対応しない場合の成功は今、ほぼ有り得ない、挑戦は損害しか出ない。
…ある意味で、この面だけ見ると、ワンサイドゲームだ。
ただ、逆に権限の無い多数が反発してる光景、とも言えて?
「大賀さん」の存在は逆に、こっちの方に「有っても良い強制力」を、削ってる。
相手の自由意思を侵害する事は出来ないし?相手の領域を侵害する事は悪い事だ。
…それは統一性の無い、反発の群衆だ。そこにリーダーが発生してない?だけ。
”これ”は、あの、「インベーダーゲームの壁」にも、近い何かは…感じる。
”あれ”は、「大賀さんの戦場は現実に等しい」事と、”それ”を構築するストリードを土台にする事で反論を抑える事は出来た、が。あくまでも理屈の問題ではあり。
「貴方そもそも”いない”人でしょう?なんで貴方が社長なの?」
古いあのコンテストを潰した、結果か。
例えるなら、アイドルオーディション番組があって。
優勝すればデビュー出来ます!と言う触れ込みで集めてたのに?
”その人”が優勝したら、番組その物が終わり、そしてデビューの話も消えて。
しかも、そこからデビューした?人々は、総じて芸能界への門を閉ざされてしまった…その位の理不尽だ。
”そこ”が欠損に成っていて、今も変わってない、”そこ”は「存在しない」し「要らない」のだ。その、”切り捨てられた人々が”逆襲の様に…「社長」その最上位を押さえた。加害側にはその負い目があるし、現状の問題もあり…”それ”に折れざるを得ない部分は出てくる。そう、人々は、社長に従わねばならないのだ。
「貴方そもそも”いない”人でしょう?なんで貴方が社長なの?」
何かの、欠損がある。