「アズールレーン」その問題としては。
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「軍艦である必要性は何処?」
そこは、大きめな話としては…あって。あくまでも「艦これ」への、ゲームシステム的なアンチテーゼ、別案に過ぎず、その機動その他に軍艦要素は殆ど、無い。単なる特殊能力で良いなら軍艦である必要は無い時、やっぱり「都合よく利用してるだけ」そう言う邪さは、感じてしまう。
否定にワンクッションを設けてあるだけで「皇帝創作」そう言うニュアンスは…重い。
「被せ」では無く、結論で「否定」だ、或いは乗っ取り。「もうちょっとリアリティが!」とか…ある意味で、同意の有る不満がある訳でも、無い。後の、ウケている?要素は殆ど流用している訳だし、「艦これ」に対する侵略的作品である、それは間違いも無い訳だが。
今は、「悪い」そう、明言は出来る。ただ、その先を決めるのが神様である、それもまた現実としては、有る。表側としては、”この方法論”しか、正直言うと今、無い訳で。利益性のある市場を侵略し、横取りする!日本の憲法9条的精神から言うと「それはダメだ」が。世界標準で言えば「普通」だ。どっちに付く?と言う時、民主主義的精神で言えば後者、しかし同じかそれ以上の反論として「侵略は不当である」それもまた、有る。
今まで通り!か、利益性か。しかし、前記の「侵略上等!」で来た人々は今?の利益性、「その枠の中に無限を見出したまえ」そう言う話に…同意は出来ない訳だ。最終的な決定者は今、「大賀さん」ゲーム機であって。”そこ”で決定する事例こそが正義。結果でしか解らない訳だが。
売れない時は、本当に売れないのである…どれだけ”そこ”に悲痛さがあっても、だ(-_-;)。
表側が、簡単に利益性へシフトできない最大の問題ではある。相手を侵略し乗っ取る時に、相応の否定をしている訳で。「フロッピーディスクなんか、もう必要ないと思うんだけど」或いはそれが、実はSONYを支えていた柱だったとしても、だ。ある種の迂闊さで、屋台骨が折れてしまったとしたら…もう再生は不可能ではある。もし、そんなだったら?
それでも、そこに居る人々は立て直す為に頑張らねばならない、訳だが。理解されていても壊される事はあるのだ。それはもう、否定し切り捨てた、その時決まってしまった運命なのかもしれないが。
「最後は仮想現実の戦争で決まる」今の理想としては、如何なる劣勢からでも正義なら立て直す事が可能だ、そう言う事で。昔捨てた夢も或いは、今なら目指せるかもしれない?そんな期待も抱く訳だが。ただ結局、その先には敵が居て、戦って勝たねばならないし、勝ったとしても、敵は破壊され、或いは今までの「当り前」が潰えるのだ。その時の悲痛それは、我慢せざるを得ない物か否か?
「その先は無い」のだけど。それでも、否定と共に、空へと、手は伸ばすのだが。
「全ての人間が私の言う事を聞けば戦争なんか起きないでしょう?!」
現実には、”起きる”のだ。そう言う人と同じ事を言う同じパワーの「別の方向を向いてる人」が居て、その時そこに戦争は発生する。
そこにある視点のズレは、今も或いはズレたままではある。