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あげちうのブロマガ

平成と言う暗黒と視線

ちょっと、深刻さはある。

84点への評価が「史上最低の五輪開会式」ではあり。

辛気臭い、葬式みたい、”それ”は当初から「復興五輪」がテーマなんだから当然ではある、東日本大震災もあり、そして新型コロナウイルスの猛威、数多の天変地異、そして、平成から令和への、あまり望まれない変化?だってあった。個人の行動は著しく制限された、そう言う中からの始まりであり。まずは前提でその辺を描かない、と言うのは理に合わない。

何を、期待してたのだろう?

165億円、というそれも、一万人規模を動員したらそれだけで50億円以上は飛ぶ。花火の量も、ドローン等々も、相応のコストだ、しかも、途中で何度も仕様変更がある、その場合の喪失も多々ある訳で、そこまで問題視される内容、でも無かった、気はする。

何にせよ、現状での84点、それへの世間の?評と言うのが”こういう感じ”と言うのは、改めて不安を増幅させる…そんな現状ではある。

世間の「良い物」と言うのが、利益性とは、どうも逆を向いているのだ。

「進撃の巨人」が、自分的には19点ではある、それもやむを得ない絵、かもしれない。根っこにある異相、それは些細だ、白黒のサイコロか、二つのサイコロか、だ。「面白い」に対して、どっち?で、声の大きさはまだ、前者を向いている。

「京都アニメーション」その作品の方向も、内容よりも、というニュアンスは…結構あって。
その末路と言うべきか…それは数億分の一の可能性としても、時に具現化してしまう。

”そう言うの”を、中国が大変評価していた、という現実もまた、重くはある。

利益に成る事は問題じゃない、自身らを有利にするかしないか、ではある。

今回の五輪開会式への不満も、「雑多な個の力と思いの結集」と言うテーマが、中華思想的な「巨大な個のパワー!」へのアンチテーゼだから、だろうか。

民主主義では?

ここに重い思想の衝突を見るのは、ちょっと考え過ぎだろうか?

ともかく、世界は今、テンパっている。経済的な問題は、非常に深刻だ。中国には15億人の人口は居ても、人権の問題は重く、「切り捨てて良い人間」を否定するなら、それはむしろ足かせでしかない。この辺、大企業に成れば同じ病を抱える、成長が止まる、利益が低くなる、リストラをせねば企業は継続できないが、その後はもうじり貧である。「増えない」それを前に、選択肢は次第に絞られて行く。

そんな中での、東京オリンピック、である。
理念はかなり致命的な現実を前に、重く問われては居る。
選手らの戦いと、そして結果は、そこに”選択”を創っていく。
世界の未来、それはどっちへ向くべきか、だ。
でも導入から、それは重い、否定の中には有る。

”それ”は、そこに期待される結果を出せるのか、否か。

 


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im7735329
https://publicdomainq.net/karl-wilhelm-diefenbach-0001012/

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