状況が違う。
テストで0点をとっても、100点を取っても、問題には成らない。
単に、売り物としては100点が買われ、0点は売れない”だけ”だ。
以前は?前者も後者も「同じパッケージ」で店に並んでいて。0点を欠陥とかゴミとか呼ぶ人が多かった、だけ。点は付いてなかった、あくまでも作者の価値観?と言う事になってた。だから、悪貨は良貨を駆逐する事が多々あった訳だ、”同じモノなのに”隣は売れて自分のは売れないのはおかしい!その時そこに「王の権威」が居て、”それ”が評価する方を人々は買う事が多かった、結果で、王の権威は何かの権力を持つ事になり…反発が、中華思想の皇帝を産んだ。
今は、明確に?点数が付いてしまう。良くも悪くも人々はその時、安心して求める数値を買う様になって。”それ”は安定した市場を形成する、事が期待されるが。「中華思想の皇帝」それはその時、0点近くにしか成らず、利益性が無い状況は…、より鮮明に成ってしまった。
「意味が解らない」
設問に何が書いてあるのか理解出来ない。5リットルの容器には、1リットルの計量カップで何回水を入れれば良いでしょう?5リットルの容器をそのまま井戸に沈めれば一回で済むでしょう?何故そうしないの?水道の蛇口から入れるとか。
設問の主観と、返答者の主観が合致しない。前者は或いは「現実の事例」として聞いているが、後者はその事例が想定出来ない、”自分の世界とは違うから”だ。前者には或いは「現実的な知恵」がそこに描かれるが、後者はその人にとっての正論でしかなく、他者にとっては混乱する元でしかない。幸い返答に対して、今のシステム?は「間違いです」そうフラグを立てるので、ユーザー側としてはあまり混乱は無い、のだが。”間違えた”返答をした、その存在にとっては意味不明だ。何で井戸に沈めて水を汲んではいけないんだ?その方がずっと賢いだろう?
ともかく、その設問には、それが出来る深い井戸は、無かったのだろうが。
良くも悪くも「現実的な知恵」それは、「その時どうする?」そう言う物である事は、多い。基本的にはブラックホールに落ちてしまったら死ぬのだ。落ちない様にするにはどうするべきか?”そこ”で知恵を使わねばならない、が。「俺は大丈夫だ」極論すると、そう言う返答がそこには描かれ、「それはひょっとしてギャグで言ってるのか?」そこまでなら笑えるが、次第に気づく。
…マジで言ってんの?
ちょっと、混乱はする。割と恐怖ではある、目の前に居る何かは…ちょっと頭がヤバいのだ。対応を、考えねばならない。
と言うのが、現在の「ストリードの連携」それが抱える問題?ではある。人間社会、他者との関係を良好に保ちつつ、生活を安定させながら自分の願いを叶える、その為にはどうするべき?的な知恵を求める時、その存在には”それ”は要求出来ない(理解出来ない)のに、今までそれらを「先生」と呼んでいた部分が有った、訳で。総体で100Mbpsしかない環境を100人で使うには、良くても2Mbps位で我慢せねばならないが、”そこ”をその人は常時100Mbps使おうとし、使えない事に不満を言う。現実は何故こんなに不自由なんだ!俺は世界を、もっと自由な状態にしたいのだ!
「それは出来ません」
「大賀さん」は、そんな人々に、その暴走?に…勝てるのだろか?(-_-;)