あげちうのブロマガ

理想の後に現実はある

最善の筈、だった訳だ。

しかし、主観だ。
自分が無関係って訳でもないのが、非常にどうでも良い。
以後、さわりばかりで、何が何だかわからない話。

結論として、DOS/Vを殺すか、自分が「死ぬ」か、どっち?って話で。
一般論で無くても、前者しかない、気はする。


状況の始まりは、「DOS/Vは護らねばならない!」その、強力な断言だ。
何故か?
実際には主観だ、或いは開発者の。
そこに有る「ちょっとした遊び心」こそがDOS/Vの価値であって。
「巨大なメインフレームを、一人占めする!」っぽいハード。
そこに価値が発生した時、その喪失は、経済的破綻にも通じていた。
そこに居たみんなが、そう言う意識を共有はしていて。

当時の企業としては、市場争いは普通の話で、もしくは産業スパイ等々も、普通で。
戦いに負けていくハード、そう言うのは良くある話だ。PC-98系は日本市場では上手くやったかもしれないが、海外のDOS/Vと張り合う上では、問題が有った。

あった?

DOS/Vに「価値がある」と言う様にPC-98系にも同じく”そう言う物は有った”訳だが。

ともかくその人としては、経済的戦略として、”最善を選択した”筈が。
開発効率その他を考えてもハードが幾つもある必要は無い、何かに一本化するべき。
その上で、コンテストを潰す。その余計なハードは大いなる計画の前に邪魔だ。

その時、しかし”その”関係に、壊滅的な断絶が発生してしまった。

それは、ひどすぎる。

貴方がそんな人だとは思わなかった。

その時、その人はそこで、不意に気づく訳だ。自分は致命的な間違いをした、事に。
その後、その間違いは補正出来ないまま、関係はそこで、些細な糸を残し切れてしまった。
そうしてその人は、何かの逆走を始める事に成った?

ともかく?「ガンダム・ビルドダイバーズ」の、森宮草案…それは、この意識にとって「壊滅的な結末」を示した訳だ。
20年近く昔の遺恨なのに、今も残っていた些細な糸は、それに、敏感に反応した。

企画原案?にしろ、当時はその辺と、「何かの対立関係だった」のかも、しれない。

色々考える。ともかく単純な事を言うなら。企画原案は言う。
人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでしまえ、だ。

…そこに、その意識としては、「大いなる反論が有った」訳だが。


それはちょっと、自分としても、盲点ではあって。オーダーにもなかった、気もする。
ともかく、そのままそれが、成功!する時、その意識にしたら致命的な破綻も良い所だった訳だ。

漫画とは言え、自分が殺され皆が拍手喝采、そう言うのは、切ない。
そして良くも悪くも、世相?状況も、”それ”を支持しちゃった、訳だ。

ともかくその「待った」を、止める事が出来なかった。

相手にしたら、その話は自分が死ぬか生きるか、である。


ともかく、責任問題は発生して。
或いは手に入れたかの、特権?そう言うのは失って。
それでも残る物を消さんとして適当なのが、「DOS/Vは壊す」事で。
その人が守るべきモノが無くなってしまえば、そこに執着する必要もなくなる訳で。

何かは、そう呟いている、気もする。

その後は、その後の話?

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