今現在でも、クリアには程遠い状況。
「ゾンビリベンジ」ちょうどDCがあり、ソフトがあり、そして配信も有って。
どういう経緯で創られたか?に妙な意識も向いた結果、手に入れた、は良いが。
色々と、難しい。
その前に、「クソゲーを無理して遊ぶ意味とは?」そんな声が重い。
自分の把握で行くとこのゲーム、映像畑の人がディレクターをした結果、ゲームとしてまず大事になる「プレイヤーにとっての利益」それを、全部捨ててる?感じは、ある。
普通の娯楽作品なら?「主人公を助ける」そのテーマを乗せ、そこにユーザーが共感できれば良いのだ、が。映像畑の、しかも現場サイドの「面白い」であって。それに繋がる部分に、何だか「俳優としての苦悩」そんな?妙な方向性は入ってる、気はする。
まず、台詞覚えから、語り、演技力、カメラの前、監督の要求、客の要求、作品の出来、的な?そんな段階を経て、俳優としての成功!が有る、訳だが。なんか、そんな感覚を投入してる感じ。
そしてそこに、「リンダ」そのキャラデザインを土台にする時、それは実際には”被せ”パクリっぽいニュアンスの結果?土台が結論で消えてて、要求が、無い。どっちが先か?は解らない。土台がパクリだから消えたのか、ディレクターの感覚がそんなだから埋める事が出来なかったのか。
ともかく解ってる事は、「プレイの光景を見てる上では」結構面白い、事だ。その辺から、映像畑の人が監督?をしてた…そんな推察。
という訳で、自分なりに遊ぶ上で、改良、それを試みる。まず想定として「キャラデザインが、自分の描いた”ミア”そのパクリである」事から?意識的にすり替えて、”違う絵”を、乗せて見る。想定通りなら?或いはすり替わっても良い。
…一応、”これ”により、多少のプレイ意欲は得られたが。
そして、テーマ。
多分、元々はこんな。
テーマ
表「俳優は大変」肯定否定
俳優業は大変なのです、しかし
裏「辛さの先にある喜び」否定肯定
俳優業の大変さとその先に有る喜び?その辺が、主幹変換されてる…として。
ゲーマー的にシンクロし易そうなテーマを、更に被せて見る。
テーマ
表「主人公を助ける」肯定否定
悪い敵をやっつけろ
裏「因果からは逃れられない」否定肯定
物語展開的には、主人公の親が敵の黒幕に負の因縁を抱えていたが故の事件、と言う話らしい、故にこの辺?
それらを導入したら少しは?と言う事で、少しトライはした、が。
何せ、古いゲーム、である。しかも最早消えた、ドリームキャスト用のソフトだ。
そこに有る、こうなった独裁性を肯定する気か?とか、自分の現在の苦境?それを齎した何かでさえあるのに、それを認める様な事をするのか?とか、壁が幾重にも重なって…物理的に、重い。この先に進むには、自分に相応の損害を許容せねばならない…そう、「黄昏の狩人」を盗まれ、そのまま居なくなってください、そう言う物言いを、だ。
平成は、自分にとって酷い時代だったのだ。
まだ、こんな感じで、希望を語るそんな悪夢は、残っている。
最も最大の問題は、当時の自分がこれを許容していた事、だったろうか。
他人を磨り潰す辛さ、その先を目指した人々は、やがては消えたのだけど。
愚か者は、誰だったろう。