まず、理解し難い光景ではある。
その会社の未来を賭けて、二つの勢力が対立している。
やがて「決着を付けよう!」取り出したのがミニスーパーファミコン。
スーパーストリートファイター2を起動し、両者の代表が対戦を始める。
…何やってんの?
そう呟いた瞬間、その場は凍り付き、罵詈雑言の末に貴方は会社を辞めさせられた。
”そう言う主観”で見れば、紛争解決機構それは、そう言う物ではあって。
この主観、理解、それで行くと、それが何故それか?を理解?は出来ない。
ぶっちゃけ、気持ち悪い。
例えばそのアニメ企画を通す為に私は命を賭けている!様な熱意の前に、”それ”は…異常な光景でしかない。そして相手の反応、「たかがアニメに、何をそんな」ともかく可能なら、即座に相手をぶん殴って追い出す所だ。クズがこの場に居る必要など無い!!
ある意味でこれは理解出来るだけに…何と言うか、その「紛争解決機構」その理念、そう言う物?との遊離に…ちょっと切なさは重い。違う人間なのだ、最早その人は、”一線を超えた先”に居る。その人物にしたら?スーファミで決着を付けんとする上の人々は、豚か犬だろうか、ともかく殺しても食べても問題ない存在だ。彼らはどれだけ悲惨な思いをしようが損害を出そうが関係ない、むしろその財産その他は、”我々の様な存在”こそが、有効に利用するべきなのである。
…我々は、人を超えた存在なのだ。
シンプルなその言葉を、言いにくい空気は有る。上の「紛争解決機構のイメージ」には、確かに同意出来る部分もあるからだ。反論はあるにしろ?この相手の主観には、通す意味が無い、全く倫理観やら未来、そう言うのに同意が無い領域と言うのは、有る訳で。結局は、それが或いは、イスラム国、その勢力を創ったのだ…そんな気にもなる。何とか穏便に、その結果が或いはインターネットではあり、しかし、要するに”それ”は物理の壁の前に居る。不可能だ、それは出来ない。上の主観はその時、現実との戦争を決意する事に成る訳だが。
現実はもちろん、”それ”から…利益性を奪うのだが。それ以上が出来ない現実?もまた、何となくある。上の「紛争解決機構」その理想、その影響は重い。”現実”には、「魔物は居ない」のである。この、理解し難い熱意の相手も人間の筈だ、なら。しかしそう言う意味では、彼らは最早、人では無く…”魔物”と言っても良い状態ではあり。それはもう後戻り出来ないのかもしれないし、自制も出来る状態じゃないのかもしれないのだ。理想は、何かの限界の前に居るのだろうか。
主人公は勝ち、敵は負けるのだ、
それこそ正義であり、私は主人公なのだ。
だから。
その時、そのミニスーパーファミコンに興じる人々は、或いは殺意の対象でしかない。
自分が負ける事など有っては成らないのだ。