あげちうのブロマガ

救われなかった娼婦の視線

事態は単純さもある。

自分が創った「ASP」と言うスクリプトプレイヤーは、Windows用だ、”ここ”でしか動かない。

「ASPを使いたい」としたら、パソコンは、何を買えば良い?

…この選択の後に、”その先のセリフ”か疑問、それは意味があるだろうか。

何でマッキントッシュを選ばないの?
クロームブックとかでも良いでしょう?
どうしてなの?

”そう言う状況”があり、そして同じような問いがあり。
ごくごく自然にWindowsを買いに行く人々へ、彼らは深刻で或いは、歪んだ問いを向ける。


私見だ、「大賀さん」紛争解決機構での決着、それは最早、確定事項、だ。今後?は”これ”に逆らう事は許されない、罪人として結論としては、反逆者は殺されても文句を言えない、決定は絶対である、如何なる立場であろうと、勿論「その作者であっても」だ。そこにもちろん?上記の様に他の選択肢、と言うのもあったが…決定は決定で有り、最早、覆らない状況。

彼らは最終的には「紛争解決機構での決着」それに同意してないから、だ。
いわゆる「カルト」と言う境目ではある、神の決定を不服とし、”それ”に挑む。

”それ”は意味がない。

…と言う納得はまだ、カルト側には無い、訳だ。
我らが王の、いや”神”の意向こそが絶対であり正義である!
そういうカルトは、日本においてもまだ、代表的には「創価学会」それとして、公明党を通し、自民党に大きな影響力を見せている、訳で。

…とは言え、その「カルトの帰結」が、平成の始まる時、売春婦を強姦して自殺に追い込む、”それ”をやらかしたのだ。

何故なら、”彼らにとっては”その人は、不用なゴミだったから、だ。

その呪いは或いは、彼女を救わなかった”全て”に対して向いてはいる。

道理として。

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