理解は一般論だ。
「私はゼビウスのプロです、お金払って下さい」
貴方が何を言ってるのか理解出来ませんが、ともかく包丁は下げてください。
”この位”に、「独裁創作に真剣な人々」は居る訳だが。
感覚論で、この人々が、「何でお金払ってくれないんだ!」そう、暴れてるのが問題で、それは今も、収束する気配が?無い。
ほぼ、制作側は、理解はされてる、気はする。
ただ?その制作側に、その包丁を持ったユーザーが詰め寄る、と言う現実はまだある。
それは何故か?と言うと、制作側だって結論ではその包丁を持って詰め寄るユーザーに、同意があるから、だ。
頑張って苦労して努力した成果が、認められないのはおかしい。
私はパックマンで10面超えられるんですけど!?
基本的には、こういう行為に、対価は発生しない。
趣味でそこまで注ぎ込むって、凄いね、大好きなんだねそのゲーム。
この返答に対して、彼らは包丁を持ち出す訳だが。
基本的に、この衝突する所が、ゲームセンターで流行った「対戦格闘ゲーム」だった。
ただ結局は、勝てても?「その先は無い」のだ。この辺、モンスターハンターにも出てくる。何処までも上がっていくハンターランク、でも、限度無しの投入でしかない。
この、何かの煮え切らない感覚が結局、「eスポーツ」それを、唱え始めてる訳だが。
「価値」と言う感覚では、この行為と精製されるモノは、「仕事」それによって発生するモノの価値を超えられない。
単に?ゼビウスの高得点!では、”需要を喚起できない”だけだ。
一般論での、それは「必要なモノ」を精製しないので。
イラストとかは?まだ、「描いてほしいモノ」を精製し得る可能性がある、そこに需要は発生する訳だけど。
それでも、それは需要を満たすと言う前提条件有っての対価だ。ラーメン屋で、ラーメンを頼まれて期待されるそれを出すと、相手はお金を払ってくれる、”それ”でしかない。
それを描かん!と言う時、その前に居る先人らはちょっと遠くに居て…そして需要はほぼ、彼らが握ってしまっては居る。
創作者としては今は、フロンティアがない状況ではあって。
ともかく?「一般客が必要とするモノを精製するゲーム」その一種が、或いはMMDとか?ではある。
ただ?それはモンスターハンターとかでは、無い。
この病気の、その原理的には、まあテレビ、ではあるのだけど。
この執着は何時まで続くのか?は、暗雲の向こう側ではある。
車の煽り運転が問題に成っている。あの、制御出来なくなる感情の破裂、ああいうのは、”こういう感じ”から来るのかもしれない。
漫画描いたりするのって楽しいよね。