或いは、裕福な自宅警備員が。
その職務を全く遂行せず、毎日ゴロゴロ、マンガ読んだり動画みたり一人でちまちまゲームしかしてない?というのでは、そこには批判は発生する、時と場合によっては暴力的な強制力も必然だ。その生活費その他は、誰が払っているのか?少しくらいは、働くべきではあるまいか?
が、このニートが。月に一本位、”数値的には”20万円程度には成る?様な動画を創ってネットにアップしていたら。それは…、文句を言う方が間違ってる。カウンタ数値は制御されていて、”それ”が支払いとしては金額換算はされないとしても、だ。その動画には相応の「価値」があって、相応の視聴者が付き、労働としては適当だ、と言う時。その動画サイトに対してこの人物は相応の貢献をしており、そしてネット全体へも好ましい影響を及ぼし、それは社会の経済を底辺で支えているのだ、として。
それでも、”見た目だけなら”この人物は、労働してないニート、である。
「ニート」それが、全く働いてない、と言うのは認識としては間違いは有る、と思う。現状、”ここ”が「中華思想の皇帝」その権利まで持っている、としたらなおさらだ。”雅”市場、それは価値に関する記述、特に何をすればお金を「生成」出来るのか?に対して明示してある規約、だが。”それ”は世界全体に対してその規約を”倫理として”適用する時、そこに現れた「結果」は、人間の理解を超えつつ「解る何か」としてそこには有る。ある種の「運の良さ」”それ”は、そこに有るのだ。
そんな”雅”市場からすると、徹底して、敵は「カウンタ制御」ではあるのだが。
自分の状況からも考えるのだが、「健康と安全はタダじゃない」のだ。”雅”市場、その倫理に基づいて動画その他を生成する事は、一応は「価値」を発生するそんな仕事の範疇ではあり。現状はその「応報的な支払い」その結果なのだろうか?一応まだ、それほど健康面その他に問題は出てない、労働の結果だ、としたら納得できる所もある、のだが。
寿
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大賀さん
果たして神判は如何に。