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あげちうのブロマガ

不意に消えていた世界の思い出

前に書いた事がある。

製作部門と販売部門が同一会社では、「売りつける事が出来てしまう」のでは。

とか言いつつかむろぎの「遊輪R計画」それは一体何なのか(゜_゜)。

ともかく、SEGAのゲームセンター部門が独立し、GIGOと言う別会社になった。内容その物は以前に既に始まった話の結末でしかなく、それは解っては居ても。当時はまだ、SEGAブランドは残す様な話もしていた…それが消えた、と言うそこにはやっぱり寂しさの様なモノは、ある。

自分の状況、それは相変わらず正確には把握できてない、ただ、或いは以前に書いた「ゲームセンターが製作会社のブランドを背負って居たら、どんな駄作でも買わねばならないのでは?」結果だけは出てしまう、それは良くない、と言うのを書いた帰結?だったりしたら、少し微妙な気分には、成る。

個人の創案だ、実績の様なモノが見えてない状態で、SEGAと言うそれでもビッグネームが”それ”をした?かもしれないと言う、そこには微妙な何かは、責任だろうか?そういうのは、ある。

それを感じる時、そこには逆に、反対した人々の声、そう言うのも有る訳だ。「エヴァンゲリオン世代の頭の悪さは」或いは、それはその辺から来ていたのかもしれない。彼らにしろ、ダイレクトな時代ではある、”それ”が、何かの一言?それによって崩壊していく、それはそう言う絵に成っていた、かも。

結果は結果にしろ、そうだったろうか、平成の、彼らの黄金期を護らんとしたかのそれは、「愚か者」それで片づけて良い話か、少し考えはする。


ちょっとこう、自分も感覚が歪んでる、感じもしない事も無い。何か、頭でっかちさが有る様な無い様な。意識しない増長と言うか、そう言うのは、今の状況で有る、のかもしれず(・・・)。ともかく今後、SEGAは「相手」が買ってくれる、或いは相手に利益を提供し得るゲームを創らねばならないし、GIGO側は「そう言う物」を要求し、そうじゃ無ければ買わない、と言う事をせねば、双方生き残れない?訳だ。「健全」と言う視点では、解りやすい絵には成る、訳だが。

とは言え、世代か、「SEGA」そのブランドに何かの夢を見ていたのは間違いない。それが消えた、或いは壊れた…それは、自分にも少し重い物はある。

”そこ”はもう、SEGAじゃないのだ。

その世界はもう、存在しない。

「世界を失った」と言う、実際は結構、大きな喪失だったのだろうか?

それを要求したかの、自分のした事?それは、正しかったか否か。

「罪」と言うのは、或いは良かれと思って積み上げていく物、だろうか。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im5644487
https://publicdomainq.net/amadeo-de-souza-cardoso-0057056/

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