「ゲームって何が楽しくて遊んでるの?」
原理的過ぎて、重い。
何となく、状況に少し変化は起きた?様な気はする。確かに何か重大な責任か、起点…そう言うのが動いて、”ここ”に来た感じはする、がそれだけに。
「で?」
目的、必要性それは解っている。
「何処に?」
それが無い。
何処に?要するに「お金の在り処」、だ。”それ”に明確な疑問があり、そして現実があって。”表”側にとって、「ストリードの連携」それは意識の外にある。”それ”によりお金が発生する、”そこ”に実例が殆ど、無い。理解が無いと言うか、確かに?「踊りなら踊れます」そういう人々を前にして、「で?」それは重い。
…”これ”にどうしてお金を払う必要があるのか理解出来ない、のだ。
この感覚は、漫画でもアニメでも、もちろんゲームでも”同じ”だ。理解出来るのは食欲位だが、しかしインスタントラーメンと二郎系ラーメンの区別がつかない感覚はある(そこにツッコミは待ってません)。感覚が落ちていく先が、ちょっと良くない雰囲気は重い。食欲さえも消えていく様な…いわゆる「価値」に理解が、同意が消えてる訳だが。
…ともかく、”その”原理に成った「中華思想の皇帝」それは、基本的には排除された?感じはする、だからこそ、しかし。”それ”が今まで居た現場の感覚が、何だか重い。
「命令に逆らえなかっただけ」な訳だ、或いは。
システム的な継承者だった人は、或いは資格を失った。”その”場に、それにより不利益を被っていた人々が収まり…その根幹に”雅”市場、そう言う感覚が有る、それは良い。しかしだから、「命令してくる人々」では無い訳だ、新たな統制側?は。今までの感覚はやっぱりまだ、その「中華思想の皇帝」そこへ恐れと共に…意識が向いてしまう。感覚だけは残っている、酷い状態だった訳だが、それでも、王は王で有って。
後に付く人々としては、そこを説明せねばならない、感覚はあるしかし。「価値」それも、結局はお客の方で決める事ではあり、売ってみないと解らないのだ。その「売る物を創る」所まで行く為に?想定外の壁?か溝がある。
「ゲーム面白いですよね?」
…何だろう、凄い反応が鈍い。「解らない」不意に気づく危機。
それに対して、”ここ”が持ってるのは「美鶴さんの長い妄想」この位しかない、訳だ。
「こういうのを創ってください」”それ”に対して、このゲームは売れなかった結果しかないのであり。
今まで自分は、良くも悪くも”これ”に同意が有る人々と話?をして来たのだが。”これ”でなんで売れなかったのおかしくね?一人で創ったからだと思われる、価値の形成にはうんぬん。だが今。”これ”が使えない時、その導入さえも始まらないのだ。
まずは、何処からか100億円くらい用意しないと。
そのお金は何処にあるのか?
だから。
「利益性がある創作を創らないとお金は発生しない」
その感覚の起点さえ既に消えた状態、その前に居る気が、不意にする。
面白いって、何だろう。