あげちうのブロマガ

ならず者が善だった瞬間と分岐

宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」は、初週で「千と千尋の神隠し」に匹敵する好スタート、と言う話。

これは広告代理店の今後に対して問題になっていくのか或いは、それはちょっと気になる話ではある。

 

前回書いてる様な、「実はマフィアに近い形態」社会的な排斥を抱え込んで、その「理不尽だ」と言う不当を武器に存在感を見せる組織、というモノだった場合。彼らの許諾有って初めてコンテンツは前に出れた、という現実も実際は有る、訳だ。しかしそうだった場合、特にか平成のコンテンツは”彼ら”の意向が色濃く出ていた、事には成る、訳で。その時、「売れましたか?」は、彼らにとっても大きなストレスには成る、議題ではあり。

更に言うと、「コンテンツが売れない、利益を持てないと、社会は経済的な窮乏に陥る」現実がある、時。経済的窮地の多くは「彼ら」の責任にさえ成っていく、訳だが。そういう「道理としての悪」は、当事者にどれだけの問題になっていくか、それはその時々ではある。

一応、「水星の魔女」に関しては「祝福」のPVと、本編内容がズレ過ぎていた、ほぼ別物、というそれは…道理的にも看過し得ない事の様な気は、する。何故ああなった?には、今の状況では”彼ら”の介入、それはちょっと想像はする訳だが。この方向の「面白い」は、彼らにとって「面白くない」或いは窮乏し得る方向性な訳だ。彼らの意向に沿う形での継続、それはもちろん「売れた」事にはしてしまう、訳だが果たして実際は?ではある。

こうなると、今更「大儀を持たねば」とか意味がない、というのは有るのかも。

考えると「鉄血のオルフェンズ」劇中の「こいつは、死んで良い奴だから」は、分岐として重要な場面だったのかもしれない。本来はあの場面に、彼らの大義が有った、可能性は少し想像する。自身らの様な排斥された人間、そう言うのを産む原理、みたいなのがあの時の「殺して良い敵」としていた、訳で。結果での「奴隷の居ない社会」そう言うのを目指す、というのはそこで彼らの大義に成りえた、が。でも結局は、それへ通じていただろうクーデリアではなく、保身に一番近かったマクギリスを選んで、そして。

”これ”はアニメであり、ともかく「悪夢」であって、実際にはこうならない様に、それが作品的には一番大きな社会貢献性には成る、訳だが。”それ”は、彼ら広告代理店にもまた、何かの影響を及ぼすか否か、少し考える部分だ。

彼らが鉄華団でしかない、のなら。つまり「雇っていた側」の意向でどうにでもなる、部分はある。彼らは今後、何処へ足を載せるのか、それは、少し気になる話題にはなるのかも。

状況は果たして、どっち。

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