理屈だけなら何とでも言える。
自分が「自分のすべき仕事」をする限り、相手にも”それ”は要求出来るのだ。
御飯が不味い?それは要するに自分がするべき仕事を、役目を果たしていないからだ。
「自分の枠」がある、それは神に通じ、他にも「平等」を要求し得る。その圧しあいへし合いにより「倫理」規律、正義、”それ”は確定していくのであって。
店で美味しい料理を食べたいのなら?然るべき仕事を、その”自身の役目を”ちゃんと果たさねばならないのだ。
その時、そこに有るのが例えカップラーメンだろうと至高の一品、ではある。
…理屈では、だ。
あくまでもそれは「期待値」だ。
結論的にはそうなっていく筈で、”それ”から外れる事が悪で。物語、或いはゲーム、そう言うのは「それ」に対して「邪悪め滅びよ!」そう、叩いて矯正する…のが役目ではあって。
”それ”が満たされてないと?それは「面白くない」訳だが。
それは、あくまでも”雅”市場、「ストリードの連携」、大衆は神である、民尊主義?その理念による理想ではあって。
安室奈美恵氏の歌にすばらしー!とか言う方向だと、微妙に合致しないのはまだ、現実としては有るのだ(-_-;)。
ともかく、「大賀さん」それは、有る。
ただそれがある時?「王の権威」も「中華思想の皇帝」も居ないのだ。
この二つが無い時?今までなら有った「これ”上の人”のお達しですよ?!」逆らうんですか邪悪ですか殴って良いですねいや殺しますから!そう言うパワーは…微妙に発生しなくなる。
結果、何をするにも向こうから”不満”は発生し、理屈だけではなく「事実」現実、その提示を求められ…それが無いと?「話にならない」と、相手にもして貰えない訳だが。そこを突破するには、良くも悪くも「自分の仕事を護る」こなす、続ける…そう言う実例としてのパワーこそが、相手を「自分の理想通りに動いてもらう」為に必要な何かに成る訳だが。
簡単に、それはギブ&テイク、だ。
仕事とは、他者からの要請と、”それ”に対して応える行為でありだからこそ”そこ”には「価値」が発生し、換金対象に成る訳だが。
自由を!
どれだけ目指していたのだろう、自分も(-_-;)。