疑問はまだ、有る。
物理的な戦争は避けねばならない。
しかし、人間の構造としても等価な二択、それは避けられず”そこ”を起点に戦争にまで発展する。
それを避ける上で、現状では「大賀さん」紛争解決機構、”仮想現実での現実的な戦争”により決着にするのが最善である、これは「正義」だ。
だから、これに逆らう”全て”は正義では無く、
それは墓石に成って貰う事には成る。
「正義は勝つ」時、この「大賀さん」はなら、現実的な戦争を起こさんとする”全て”に勝利するのだ。これにより人類は、物理的な戦争それを回避する事が出来る様に成る。
…正義は勝つ、のだろうか?
イメージの世界では一応は、敵は最後?トイレの無い食糧庫で一人、墓石と化すのだが。勿論あくまでもイメージだ、「無間地獄に落ちるよ?」的な、そう言う思考実験とでもいうか。人間は神には成れない、だから、想像するにしろ…如何なる事に対しても断言は出来ないのだが。ただ?”それ”に反発する時、相手はどんどんとその、「個室」に追いやられて行く事には成る、物理的に、だ。
それは道理だ、神に逆らう愚か者の末路として適当である。
自分のスタンスにも問題は有る…「何処か問題は無いか?」常に人間である限り、しょーもないミスは…常にするのだ。もちろん自分がこの件についてミスをしてない訳じゃない、スタートから間違いだらけ、”それ”を補正し訂正しての現在の堅牢さではある、しかしだからこそ、今自分が間違いを見逃していないとも言い難いのであるが。
もちろん”これ”は、一人で創ってる訳じゃないので…最大の間違いは今、自分への疑念なのかもしれない、そんな気はしないでも、無い。
「解らない」その狭間から、その最初の間違いだろうか、その笑みはまだ、笑い続けているのだ。
そんな悪夢の中にまだ、居る。