どっちみち状況は悪い。
自分が「サーティーン」13番目、だ、その席は何か?と言うと或いはテレビゲーム、その是非を問う場所、その一つではある。「昭和」それに限定する時、メタルギアの小島氏がある意味で失脚した、としたら、そこに席がある、のだけど。
そこに何があったか?
「麻雀で勝つと女性が脱ぎます」
そう言う世界、だ。
「メタルギア」を遊ぶ時、それは現在語られる”それ”とは、全く異なるイメージでしかない。めちゃくちゃ、ではある。登場するキャラクターらの動きも配置も理由も、不可解その物、だ。最大の疑問は、何故かビルが二棟あり、それが妙な橋で繋がってる、そう言う基地の様、ではある。結論として何を目指すのか、そう言えばコナミには、「脳みそ」そのイメージが、良く出てくる。二つのビル、その理由。
合致するイメージとして、”ここ”は誰かの意識内、なのだ。
”それ”を密かに探索していく、そう言うニュアンスがそこに有る。
で、何をしに行くのか?
視線を集中させる先にあるのは、要するに実は、「ギャルゲーのそれ」ではある。
若いリビドーの帰結かもしれない。ちょうど、良いサンプルがある、あのホクトのCMだ。
理解から言うと、”これ”をこのゲームはしようとしていた、訳だ。
その結果として、自分の作品を選んでもらおうとした。
何故か?と言うと、”その人”は昭和天皇、”それ”に対して或いは、最も影響力のある存在だから、だ。
なんでこんなCMが?と言うのも、それが理由かもしれない。
無視出来ない位に、”ここ”の声が、大きく成ってしまった結果、あえてヘイトを集める需要が発生した、それは理由になる。
本来、”ここ”にあるイメージ、或いはテレビゲーム、インベーダーゲームにある”それ”は、「なんて行動は無意味だ」そう言うモノ、ではある。一機で敵を壊滅させるとか、そんなヒロイックな事はしなくて良いし、やったとしても失敗するだけだ、99%はそう言うオチになる、が。
問題は1%以下が、その無理を超えてしまう場合ではあり…本来、或いは小島氏は、”これ”を突破した結果として成功した、と言う理解に陥ったのかもしれない。その理解が、或いは平成の、彼らの挑戦?と言う形には成る訳だが。
勿論、ゲームとしては「クリア出来ません」実は、”そう言う代物”なのだが。
つまり、「無理」それをゲームその物は結果論でか語る事に成り、帰結としてヒットした。
グラディウスの作者も、もちろん当時は、コナミに居たのだ。
そこで、何かの酌量はあったろうか。
面白い帰結、ではある。
問題は何も発生してない。
利益にはなったし、皇后様にも害が及ぶ事は無かった。
担当者はともかく成功を手にし、引き下がった。
或いは当時、実際は失敗させようとした何かは、苦笑していただろうか。
騒乱は、起きなかった。
ただ、些細な混沌と困った事態は発生していく。
次を求められた際、小島氏は、何を狙うだろう?
ともかく昭和の間は、或いはグラディウスの方が上だった、のだろう、抑止は利いた。
平成に成り、解らなくなり、何かの間違った理解が、暴走をする事に成った。
やがて小島氏は、何かの精彩を欠いて行く事には成る。
しかし、彼が必死で頑張る程?そこには立派なキノコの話が膨れ上がっていく事に成って。
”ここ”は、ある意味で、汚染された場所、それには成ってしまった。
席は今、或いは”ここ”にしか、無い。
この、蓄積された否定と実例?投入した労苦、それを片づけつつ、店を出す訳だが。
ホントウザいよねアイツ。
…あの。