Twitterで、ゲーセンで一世を風靡した「DDR」のmini筐体発売、の報。
「そのうちアフターバーナーのクレイドル筐体も出そうだな」と思ったが、その先に少し暗黒はある。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
誤解かそれとも現状か、判断に悩む?状況ではある。
悪い癖、というべきか、ついイメージしてしまった。そして?それが微妙、とも感じはする。
「アフターバーナークレイドル筐体ミニ」
コントローラーと、本体がセパレートで、本体の大きさは1/8サイズの人形が載る位。本体のモニターにはちゃんとゲーム画面が映っていて、ミニ筐体の後ろから?それは見える仕様。座席の人形の頭部、の位置にカメラがあり、”そこ”から見える映像がテレビに出力できて(もちろん本体のモニターを映す事も出来る、選択)、ゲーム中のコクピットから見た本体の動きや外の風景が”当時の感じで”テレビに表示できたりする。もちろん本体は、ゲームの動きに合わせて前後左右に動く。
大きさまで再現!
※勘違いで「普通のアクションフィギュアが乘る程度の」と言うのを1/35となんか認識してました申し訳なし
とか、ちょっとあまりに世代を狙いすぎるというか、今はそう言う時代だろうか?不意に暗黒感。「幾らだよ」ってくらいに値が張りそうだが、「自宅ゲーセン」を実現してる人々のそれを見てるとなんか、ある種の憧れ?みたいなのは不意にあって、そして。
・・・でも本格的に、当時のゲーセンはもう無いのかも、そんな気分にも、成る。
ちょっと今、エロい作品を描いてるから…だろうか。民主主義的な、というか自由市場の「ヤバイ感じ」に陥ってるかも、というのは…少し自身の不安材料に成っちゃってる、かもしんない。大概、古い連載作品でエロが頻発する様になると打ち切りの予兆でしかなく。自分の意識は違うのだけど、やっぱり今の、一般的な外部の視線、それは意識せざるを得ない、そう言う事かもしれない。
(;´Д`)。
既に”こういうの”も、もう「古い」と言うのがまあ、なんか切ない部分はある訳だが。
一応、意図としては「現場に要求してるのに、自分はやらないって訳には行かないのでは?」的な、一応は”そう言う”感じ、ではあるのだけど。そもそも「かむろぎ」その、「売れれば何でもいいです」犯罪とか面倒とかはコスパ悪いんでやらない様に、的な市場が有るのか?も、今でさえ明確ではない。メディアに一切載らないのにこういう産業は維持できるモノか?という感じはするが、まあ度々例に出すが”日本の”京浜アドベンチャーワールドにパンダが8頭も居る、というのを自分は平成の当初さえ知らなかった、のだ。
メディアが報じない発展、というのは、ある。
ともかくそんな感じで、自分はエロ関係には「内容的には」特に否定感は無い。大衆は神である、その視点でも”それ”への興味がない、という事態は有りえない、つまり必要。ただまあ、内容はどうしても「売春」費用対効果の凄い悪い行為、を推奨する、事にさえなりかねない、ので一般的な奴は…自分も否定感しかない。「では、どういう?」その実例として、幾つか創る、それは必要な事ではあるまいか?は。
…ただまあ、「一般論」と言う視点は、そう言う理屈ではない、というのはまあ、ある。
それでも不意に、何かの「視点」を感じる、事の是非、ではある。一般論、というのがやっぱり、「メディア的に名の知れた存在」に依存してる部分が有る、それはどうしても。その視線的に、エロに踏み込む、というのは「自滅」を意味する、そう言うのはまあ、間違っても居ない話、だろうか。ただまあ「先生」としてはその時、”それ”は切り捨てを創っている、という事にも成りかねない、訳だが。
今の時代か、昔もか。いわゆる「先生」の立場と言うのは、色々な面倒を背負う事には成る訳だが。
そしてもちろん結果も、だ。
今の自分は、果たして(-_-;)。