懸念は残っている。
200万円の商品を買うのに、手持ちの120万円では足りないのだ。
ぜひ欲しい。
不足の80万円はどうする?
この時ここに、強奪連鎖の危険性、それは発生する。
この不足する80万円を埋める方法は、幾つかある。
別に埋める必要は無いかもしれない、「それは貴方には不用です」それを理解させる事が出来れば、その喪失は考えずに済む。
この理解”だけ”なら、これ以上を考える必要は無い訳で。対処の方法はあるし、その先も自己責任だ。もちろん?知識として「買うとどうなるか?」等々を知っているなら提示し得るのは、価値として意味はある。失敗談なんかは特に、諦めさせる時には重要かもしれない。
しかし、”これ”で止まらない時、その先の剣呑はあるのだ。
その衝動の原理とは何か?は、或いはプライバシーに成る時、解らなくなる。
その、ごちゃごちゃした衝動を、物理的に「止める」大きな壁として、娼婦の存在は需要はあるのだけど、結論で客は「娼婦を喰いにくる」のだ、単純に殺しに来る。”風俗”に相当する商売?は総じてその面が有り、今の新型コロナウイルスは、”その”際に発生する悲痛?そこに反応して”客を”発症させ、或いは殺すと言う、少し特殊なウイルスとして発露してて。
道理ではある。
しかし、”それ”が禁止された時、創作は危険を完全に止め切るか?と言うのは、懸念だ。
不可能は、ある。
時速200kmで走れる車を、時速100kmも出ない車で追いつく事は、出来ない。
その不可能を超えねば事態は打開出来ない!と言う理解でも、強奪連鎖は発生する。
命を守る、それは最優先、だ。
その時、無理は抑止するのが正義だが。
因果の結果と言うのは、果たして。