桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

大地震余波

2011年03月25日 10時49分50秒 | 日録

 昨日のブログで取り上げた金乗院のほかに、我が庵近くには無住のお寺がもう一か寺あります。寶蔵院です。墓石に被害がなかったかどうか気に懸かるので、二日連続で墓石の被害調査に赴きました。



 富士川に下りると、左岸(松戸市側)の道にはパイロンが置かれ、途中から通せんぼされていました。
 もしや、と思って右岸(流山市側)に廻ってみたら、通せんぼされたところは小規模ながら地滑りがあったようです。多分先日の地震が原因でしょう。

 


 寶蔵院でも燈籠が倒壊していました。笠の部分は仰向けにひっくり返って、縁(ふち)が欠けています。
 無住のお寺なので、修復はおろか、片づけの手も入っていないみたいでした。
 散乱したままであることが気に懸かりましたが、勝手に触れるものではないとも考えたし、第一独力で持ち上げることができそうなのは一番上の宝珠ぐらいのものですから、残念ながら見過ごしにするしかありません。

 


 歴住の墓石と八十八体ある弘法大師像(画像下)には大禍がなかったようです。丈が低いのが幸いしたのでしょうか。



 寶蔵院の境内にも辛夷(コブシ)の樹がありました。

 東漸寺で福島県から避難してきた人を受け入れていると知ったので、私でも何かできることはないだろうかと行ってみました。
 その情報を入手したのは、地震から十三日も経過した昨日の昼前でした。東漸寺にはちょくちょくお参りしているのに、なぜかこの間は行くことがありませんでした。まだ地域コミュニティに充分溶け込んでいるとはいえないので、情報の入手も遅いのです。



 門前に出ていた貼り紙。
 左端に手書きで、「三月二十二日現在、物資は充分に足りているので、お心だけちょうだいします」と書かれてありました。
 私が持って行けるものなどたかが知れていますが、地域情報に疎かったことが禍して、いまのところは何もできなくなりました。



 絶好球がきたのに、一瞬の躊躇を覚えて、見逃し三振……そんな気分で帰ってきたら、我が庭に菫(スミレ)があるのに気づきました。

 山路きて 何やらゆかし すみれ草 芭蕉

 私の部屋には背を向けて咲いているのと、雨つづきで庭に下りることがなかったので、気がつきませんでした。
 去年夏、引っ越してきてすぐ庭の草刈りをしました。もっとたくさんあったのに、菫とは知らず、引っこ抜いてしまっているかもしれません。それでもまだ花を咲かせていないものが数株あります。



 ぐずついた天気がつづきました。昨日は
夕方近くになってようやく陽射しが出ましたが、冷気は緩む気配を見せません。そんな寒い中でルッコラの花が咲きました。
                  


 一方、摘み菜(ツマミナ・実態はおそらく蕪)の花はひと足早く春爛漫です。



 昨秋、曼珠沙華の開花が遅れたのは夏が暑かったせいだ、とのたまわった近所の事情通のオヤジが「雪柳」だといった樹です。我が庭にあるのですが、道路端なので枝が道路にはみ出しています。
 いまになって思えば、雪柳があの特徴的な枝をヒョロヒョロと伸ばしたら、歩くのに邪魔だったのかもしれません。事情通の家はこの道を突き当たったところにあって、ごみを出すのにも、どこへ行くにもこの道を通らなければならないのです。
 よくよく見ると、剪定された跡があるので、私がいまの家の主となる前に、事情通が伐ったのでしょう。

 特徴的な枝が見られなかったので、「雪柳」とのたまわったときには、私はかなり強い気持ちで「?」と思い、春になったらわかるさ、と独り言を呟いたのでしたが、春がきて花の咲いたところを見ると、私の期待に反して、雪柳でしかないようです。
 考えてみれば、事情通は何年、いや何十年となく、伸びた枝に悩まされながらこの花を見てきたのです。



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