昨日、今年最後の通院(と思った)でした。四週間後は暮の三十日ですが、この日から外来が休みになるらしいので、次回はいつになりますやら、と思っていたら、来週九日にまた通院しなければならないことになってしまいました。
通院のあとはいつもなら「遠くへ行きたい」気分になるのですが、来週も通院ということになったのと、とくに行きたいところもなかったので、どこにも行かずに、帰ってきてしまいました。
行きたいところはあったのです。
そこは茨城県の旧真壁町―。いまは桜川市です。
中世、真壁氏の興った土地で、真壁城があったところです。しかし、東京からは非常に交通不便な場所です。最寄り駅は土浦で、そこからバスに乗って行くしかないのですが、一時間半ぐらいかかります。
病院帰りに行くということだと、バスの便は一日一本しかありません。しかも途中で乗り継ぎしなければなりません。
事前に時刻表を調べると、上野発十時十分の常磐線に乗れれば、そのバスに乗ることができました。目的地に着くのは十二時半。帰りのバスは? というと、四時間ぐらいの空き時間があるので、そこそこ見て回る時間はあります。
問題は、診察を終え、薬をもらって、十時十分に上野駅に滑り込めるかどうかということでした。
この日は血液検査があったので、出動は八時。
診察は九時からですが、これまでの例でいうと、診察は三十分足らずで終わります。上野駅まで急いで歩けば二十分ぐらい。十五分ぐらいで薬をつくってもらえれば間に合う、という寸法ですから、頭から不可能ということではありません。
プリントした地図とバスの時刻表、煮出したあと一晩冷蔵庫で冷やしておいた博多薬膳茶をペットボトルに詰めて家を出ました。
診察はいつもどおり九時半ごろに終わりました。リンパの循環のほうは前と同じで、可もなし不可もなし。
ところが、これまでとくに問題なくきていた血液の鉄分が、わずかですが減少しているという結果が出たのです。そういえば、一年前の退院直後は、ひじきやほうれん草を食べるようにするなど、食生活には気を遣っていたものですが、数値が安定するようになってからは、気配りがおろそかになっていました。そのせいか。
通院の日が近づいたので-ということでもないのですが、たまたま明治乳業のラブという加工乳に鉄分が含まれているということを識ったので、四~五日前から飲み始めていました。しかし、そういう付け焼き刃のようなことでは数値はごまかせないものらしい。
鉄剤の注射をされ、血液中の鉄分を増加させる薬を一週間服んで、来週数値を計りましょう、ということになったのでした。
ついでにインフルエンザにはくれぐれも注意! といわれました。リンパの循環に障害のある人は風邪をひいたりしやすいのだそうです。
三十を過ぎたころから寝込むような風邪をひいた記憶はありませんが、毎年いまごろの季節になると、鼻をグスグスさせ、昔の子どものように水っ鼻を垂らしています。小さいころから気管支が弱かったので、それがいつまでも尾を引いている、と思っていたのですが……。
いつももらっていた薬も一週間分だけです。そのぶん早く整って、私が病院を出たのは九時四十分でした。上野発十時十分には悠々間に合う時間です。しかし、なんとなく浮かない気分になってしまったので、上野には向かわず、湯島から地下鉄に乗って家に帰ることにしました。
電車に乗っている間に、ふと花屋に寄ろうと思ったので、馬橋で降りました。
馬橋駅から歩いて十五分ほどのところに、マツモトキヨシのホームセンターがあって、わりとたくさんの植木や種子が置いてあるのです。そこになければ、国道6号線を歩いて北小金駅入口にある小山ガーデンという花屋に寄り、そこにもなければ、北小金駅近くの花屋に寄るつもりでした。
何か買うつもりだったのかというと、スノードロップの球根です。
一昨日、明日は病院かと思っていて、スノードロップのことを想い出したのでした。
もう三十年近く前のことになります。すっかり忘れていたのに、なにゆえに突然想い出したのか、理由はわかりません。
そのころ、私はフリーランスの編集者をやりながら、西武新宿駅近くに個人事務所を持ちました。いずれ出版業を始めたいと考えていました。
前途洋々と思いましたが、そう思ったのは私だけで、そうそう簡単には行きません。毎日四苦八苦しているうちに病に罹りました。
病院に行ったわけではないので、正式な病名はわかりませんが、自己診断によるところ「鬱」です。
その前の年の春、山梨県の道志村というところに別荘を借りました。
別荘というと聞こえはいいけれども、実際は廃屋です。畳の部屋が三つに土間の台所。トイレと風呂は外の別棟。電気はきていましたが、煮炊きと冬季の暖をとるのは薪、水道は近所の湧き水、電話は引こうと思えば引けましたが、引きませんでした。
おばあさんが独りで暮らしていた家です。私が借りる直前に横浜に住んでいた息子夫婦に引き取られたところだったので、廃屋とはいっても荒れ家ではありませんでした。
つてがあって、確か月五千円ぐらいで借りた、と思います。
中央線の藤野駅で降りてバスに乗り、月夜野という終点から歩いて二十分ほどかかりました。調べてみたら、そのバス路線は九年前に廃止されていました。いま、行こうとすれば、橋本という駅からバスを乗り継ぐか、富士急で都留市まで行かなければなりません。
なぜそんなところを借りる気になったのか、もはや憶えていませんが、せっかく借りたのに、最初のうちはほとんど行きませんでした。
近くにはキャンプ場がいくつかあるぐらいなので、夏は避暑地として格好のところであったのに、そういう季節には利用せず、人がいなくなった晩秋ごろからちょくちょく行くようになりました。仕事は日を追って暇になり、暇になったのに、注文取りに歩くようなこともせず、鬱々と過ごす日が多くなったころです。
すっかり人がいなくなる季節で、夕方薄暗くなるころに中央線の電車を降りると、バスの乗客は最初から最後まで私独りだけ、ということもありました。
思い返すと、静かなところで原稿を書くために借りる気になったようにも思います。キャノワードなんとかというデスクトップ型のワープロが二台あったので、一台を運び込みました。
本を一冊書くとなると、早くても三週間はかかります。電話がないので、仕事も思考も邪魔をするものがない。しかし、資料は家にあるので、本気で籠もるつもりなら、資料も運ばなくてはならない。で、せっかく借りながら、なかなか行くことはなかったのです。
ところが、(多分)鬱状態になって、電話に出るのも面倒だし、大体人と会うこと自体が煩わしい、と思い始めました。
大晦日の日、フラッと中央線に乗って別荘へ行きました。藤野駅に降り立つころ、曇っていた空が崩れて、冷たい時雨に変わっていました。
冬に備えて頼んでおいた薪が軒下に積んであったので、早速竈にくべて火を点けました。薪がパチパチと爆ぜる音が高くなるのに連れて、少しずつ暖かくなってくる家の中で、負けてはいけない、とちょっぴり元気を取り戻したような気になりました。
……が、新年が明けて、三日、一週間と経過して行くと、我ながらどうしようもなくなって行くようでした。
一月の終わりか二月初め、雪が積もりました。
一週間か十日に一度、バスの終点にある、なんでも屋のような店に食料品を買いに行きますが、あとは一日じゅう雨戸も開けず、むろん外にも出ず……という毎日を過ごしていました。
その雪の朝、目を覚ますと、もともと静かな家の周りがいっそう静かに感じられました。もしかして雪か、と思って外に出ると、思ったとおり一面の銀世界でした。
家の左手から裏にかけて、おばあさんが耕していた畑があったのですが、いなくなってからは荒れ地と化して、草が繁っているだけでした。それも雪に覆われています。
ふと気がつくと、雪の中に白くて小さな花がいっぱい咲いていました。それがスノードロップだったのです。
そのときはスノードロップだとは知らず、鈴蘭のようだが、鈴蘭ではない。なんという名前の花か、と思ったのでしたが……。
あとでこじつけたのかもしれませんが、冷たい雪にも負けずに咲いていた花に勇気をもらったような気になりました。仕事、仕事、男は仕事、と思って東京に戻る決心をしました。
三十年も前のことですから、前後関係には曖昧なところがあるかもしれませんが、スノードロップの花を見ていなければ、どうなっていたのか想像がつきません。
こういう隠遁生活があったことは、佳きにつけ悪しきにつけ、自分史の中では重大なことであるはずですが、少なくともここ十年ぐらい忘れていたと思います。それをふと想い出したので、我が庭で咲かせたいと考えたのです。
しかし……マツモトキヨシを手始めに予定どおり三軒覗いてみましたが、どこにもありませんでした。
仕方がないので、ネットショップで買うことにして、最後の店でノースポールの鉢植えを買いました。スノードロップが届いたら、ノースポールを挟むように植えようと思います。
雨になる前に、と思って庭に移し替えましたが、今朝の豪雨で、葉っぱのみならず、せっかくの白い花も泥はねだらけになってしまいました。
ひとしきり降った雨が上がると、嘘のような陽射し……。十二月だというのにTシャツの上にプルオーバー、裏地のないウィンドブレーカーを羽織っただけという軽装で散策に出ました。足はもちろん素足。
富士川を渡り、キャンプ場を通り抜けて行きました。階段を上がったところがキャンプ場ですが、そこで行き止まりだと思っていたのに、前の散策時、逆方向から入ってみて、通り抜けられるとわかったのです。
キャンプ場には竈も水道もあります。竈の形は全然違うけれども、道志村の別荘時代を想い出しました。さすがにこの時期にテントを張るような酔狂な人間はおりません。
キャンプ場を通り抜けて北斗七星型に歩くと、前ヶ崎地区の香取神社です。
香取神社の狛犬。
これまで人がいるところなど見たことのなかった神社ですが、今日は門前にママチャリが三台も止められていました。何事ならんと訝りながら進んで行くと、拝殿の左手を歩いて行く親子連れ二組の後ろ姿が見えました。
雨が熄んだあとの強風で、公孫樹(イチョウ)の葉はほとんど落ちてしまいました。
親子連れはなおも拝殿横を進んで行くので、殊勝にも落ち葉の掃除にきたのかと思いきや、銀杏(ギンナン)拾いの一行でありました。すでに先乗り隊もあって、手当たり次第に拾っておりました。
これは先月二十四日、拝殿左の欄干下で撮った写真です。
このあと翌二十五日、二十九日、三十日、今月一日、そして今日三日と散策時に寄っているのですが、猫殿には出会っていません。ことに今日は人出があったので愕いて、いても出てこないのに違いない。
その都度キャッティを携帯して行っているので、この場所に置いて帰ります。毎回きれいになくなっているので、食べていてくれるとは思うのですが……。
市川大野のオフグと同じような毛色なので、親近感を懐かせます。
♂か♀かまだわかりませんが、勝手に♀であろうと断定して、「小春」と名づけました。もし♂だと判明したら大春とでも致しましょう。
犬なら後ろから見ればすぐわかるのに、猫は後ろを見せるということがなかなかない。ことに野良殿は出会えば逃げるのが普通ですから、なおのことです。たまたま後ろを見せるとしても、尻尾が邪魔で雌雄の別を判断するところが見えないことが多いのです。
日中は暖かい日がつづきましたが、鰤大根をつくりました。無水鍋でつくっていますが、大根はまだ少し硬い。
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そんな経緯だったのですね。
大根この色で固いとは…嘘に違いない!