私の祥月誕生日 ― こんな言葉はありませんが ― いつからか、実際の誕生日はもちろん、毎月の誕生日と同じ日は家にお祀りしている阿弥陀如来像に水のお供えをして焼香し、阿弥陀如来を本尊としてお祀りしている東漸寺に参拝してお賽銭をあげる、ということを毎月の自分への取り決めとしてきました。
前置きが長くなり過ぎましたが、去年火事に遭って転居を余儀なくされ、東漸寺も少々遠くなってしまったので、ずっと欠礼をつづけていました。ただ、毎月参拝にくるのはむずかしいけれど、祥月だけは万難を排してこなければ、と覚悟はしていたのです。そんなたいそれたことではないのかもしれませんが……。
そういうわけで、新しい庵のある新松戸から一駅だけですが電車に乗って、久しぶりにお邪魔をすることにしました。
七月二十七日は2016、17、18年と最高気温は30度を下回りましたが、19年から例年どおり暑くなって、今年も30度を超えました。
角を曲がると、東漸寺の杜が広がって、一気に涼しい感じになります。
日陰に入ったところでスマートフォンを取り出し、温度計を表示させてみました。日陰なのでこの温度ですが、実際の体感温度は、示されている数字程度の暑さではありませんでした。
東漸寺参道に置かれた小僧さん(地蔵さん?)の石像。これまで気づかなかったので、最近置かれたものでしょう。
山門の瓦に照りつける陽射しもジリジリと焼けつくようです。
久しぶりに仁王尊の撮影を試みました。コンパクトデジカメではなく、スマートフォンでもなく、ズームのデジカメを持ってきたので、暗いところでもちゃんと被写体を捕らえてくれました。
山門から眺めた境内。
空には秋を思わせるような雲がありましたが、とにかく暑い! 暑い!
観音堂。今日の目的は観音様ではなく、本堂の阿弥陀様なので、立ち止まって拝礼したのみ。
本堂と本尊の阿弥陀如来です。お賽銭をあげて、お礼の参拝。
種々持病が出るようになり、歩くことにも少しずつ支障が出てくるようになりましたが、この歳までよくぞお守り下すったと改めて思いました。
阿弥陀参りにきた日は必ず歴住の墓所に赴きます。
中央の高いのが開山・経譽愚底さんの卵塔。
いつもはこの画像を撮った位置で拝礼するだけで、近づくことはありませんが、この日は水鉢に枯れ葉が積もっているのが目に入ったので、取り除こうと真ん前まで行って、すぐ左隣が中興といわれる東漸寺第五世・行譽吟公上人の卵塔だと知りました。
東漸寺が創建されたのは現在の場所からそれほど遠くない根木内という地ですが、開創から約六十年を経た、天文年間に現在地に移されることになりました。第五世・行譽吟公上人の代でした。
寺伝には、根木内の地が狭少でかつ堂宇もいたく破損していたので、当時小金の城主であった高城氏の勧めで現在地に移し、初めて大殿、長廊、方丈、厨舎がすべて完備したと記述されています。これよって、研学修行の徒が四方より雲集するようになり、名実ともに大法瞳として学行兼修の大叢林となったと伝えられているのです。
今日、東漸寺を訪れたのは祥月誕生日であったからですが、もう一つ理由がありました。それは、そろそろ咲いているであろう猩々草(ショウジョウソウ)を見ることでした。
咲いている ― と記しましたが、紅い部分は苞葉と呼ばれる葉っぱであり、花ではありません。
境内を隈なく歩いているわけではありませんが、この猩々草があるのは、歴住の墓所近くだけに限られています。
花というか実を結ぶ部分は中央にあって、いまは緑色をしていますが、実を結ぶと黒い色に変わります。その途中はこれまで見たことがないので、画像の持ち合わせもありません。ウィキペディアから拝借しました。
去年と較べると、赤い部分が小さいように思えますが、野草図鑑によると、花にたとえれば見頃は八月から九月ということなので、くるのが少し早かったのかもしれません。
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