ひと月ぶりに湯島まで通院しました。
本当は二週間に一度、というのが決まりなのですが、東京までとなると、私にはひと月(四週間)一度でもシンドイのです。
例によって長い待ち時間のあと、検査と診察を終えて、また大量の薬をもらうのを待っている間、同じように薬が出てくるのを待っている女性がいました。年のころは三十代なかば、か。
私と薬剤師との間で、前に薬を処方してもらっていた新松戸の薬局の名前が出たのが聞こえたのでしょう。私が長椅子に戻ると、「松戸の方ですか?」と話しかけてきました。
「ええ」
「もうお帰りですか。よろしければお送りしましょうか。車できていますので……」
これはラッキーと思いましたので、喜んで同乗させてもらうことにしました。
ところが、家はどこかと訊いてみると、埼玉県の吉川です。まったくの方向違い、というほどではないが、松戸に立ち寄るためには、渡らなくてもいいはずの江戸川を渡らなければなりません。
俄然恐縮して辞退しようとする私に気を遣わせまいとしたのか、知らない道をドライブしてみたいから、といい、何せ離婚して独り身、パートを休んでしまった今日はすることもないから、というのでした。
名前はYさんといいました。
私と同じようにリンパの循環に障害があって、一年以上も通院しているのだそうです。
私の家まで送ってくれるということでしたが、私はこういう偶然の機会でもない限り行くことはないかもしれないと思ったので、同じ松戸市内ではあっても、私の家とはちょっと方向違いの、金蔵院(こんぞういん)という真言宗のお寺の近くまで乗せてもらうことにしました。
ここは松戸七福神巡りで、私が一つだけ残した恵比寿神が祀られているお寺です。私の家から歩いて行くしかない三か寺の中では一番遠く、よって最後まで残っていたのです。
新葛飾橋で江戸川を渡るころ、ちょうど昼時となりました。腹はまったく空いていなかったけれども、送ってもらったお礼に食事でもご馳走すべきかと考えましたが、つらつら考えてみても、私の腹はまったく減っていない。
そうこうしているうちに、車は国道6号線から流山街道へ……。
とくに話の接ぎ穂がないまま。
初対面で、しかも私の息子と同年齢の若い女性と狭い車の中で隣り合わせ、となると、六十を過ぎても晩熟(おくて)な私が、よりによって七福神巡りの話を持ち出したのでは、弾む話も弾みません。同病相哀れむとはいえ、さぞかし退屈だったことでしょう。
湯島からちょうど一時間。坂川放水路に架かる主水(もんと)大橋で車を停めてもらいました。
Yさんの名前のほうは訊きませんでした。もちろん連絡先も……。
それでも、また会うことはあるだろうか。
通院日も訊かなかったけれど、今日一緒になったということは私と同じ隔週木曜日なのかもしれない。
なんの下心もありませんが、無理をしてでも再来週の木曜日は通院するか、などと考えているうちに、そうか、私はコーヒーにして、食事をご馳走すればよかったのだと気づきました。車を降りてすでに十分以上も経ったころです。
我ながらまったくトンマなヤツです。
まさか「(あけち)みつひでけんせつ」と読むのではあるまい、と思いますが……。
金蔵院を捜していたとき、門前手前で目にしました。
金蔵院本堂です。寛永六年(1629年)の開創。本尊は不動明王。
きれいに掃き清められた参道のかたわらには菖蒲の花。参道土塀横に写るスレート葺きの建物が多分「みつひでけんせつ」(?)。
松戸七福神巡り最後となる恵比寿神です。
私の七福神巡りは順番も適当、日時も適当、御朱印帳を用意しているわけでもないので、これで満願とはならないのでしょう。
無患子(ムクロジ)の樹がある観音寺はわりと近いのではないかと思われたので、行ってみることにしました。
植物図鑑には六月ごろに淡い緑色の花を咲かせる、と記載されていました。どんな花なのか見たことはないが、咲き始めているかもしれない。
途中で見かけたじゃが芋畑です。
ざっと見たところ、広さは七十~八十坪。物事は思いどおりに行かないのが常、とはいうものの、私の計画が順調だったならば、もっと広い百坪の畑に、私自身の手でこのように……と思いますが、いまとなってはみんな夢の中です。
別の畑地に寝そべっていた黒の野良殿。
日陰になっている上に土が湿っていたので、冷たくて気持ちがいいのでしょう。散策は突発的でしたから、今日はミオを持っていません。
用水路で蛙の声を聞きました。
家に引きこもり気味になり、息をひそめているうちに、完全に夏来たるらし、です。周りは畑地が多く、木陰がないので、シャツはすでに汗グッショリ。
近いと思っていたのに、観音寺までは結構な距離がありました。
野中の道ですから、バスの便もない。自販機もない。タクシーも通りません。ここまできたら歩き通すしかありません。
Yさんが声を掛けてくれなければ、病院帰りに散策するつもりなどなかったのに、私はひと晩冷蔵庫で冷やしておいたダカラをマグボトルに携帯していました。途中、無人の社を見つけて休憩二度。
給水はこれでよいとして、心配だったのは偏頭痛に見舞われるのではないか、ということでしたが……。
せっかちなのは相変わらずなので、まだ汗が引かないうちに歩き出しています。
金蔵院から炎天下を三十分歩いて観音寺に到着。
無患子はすっかり葉を繁らせていました。下は五月初めに訪問したときの画像です。
鈴なりの蕾をつけていますが、花はまだでした。
掃き集められていた去年の無患子の実。
そのほかにもまだたくさん落ちていました。四月初めに収穫したとき、十五個拾ったつもりが十四個しかなかったので、一つだけもらってきました。
南流山駅近くの民家。玄関先に桔梗の鉢植えがあったので記念撮影。丈の高さからして種から育てたものと見えます。
朝、家を出てから一万三千余歩歩いて帰宅。
思ったほど疲れていなかったし、偏頭痛も出ませんでした。歩き始めこそ脚に不安がありましたが、結構健脚ぶりを発揮できました。汗をかいたせいか、汗が引いたあとはサッパリした気分です。
私の身体に不足している鉄分増量には、ヒジキがいいだろうと信じているので(実際に効果は高いようですが)、昨日からヒジキの五目煮をつくり始めました。蓮根と蒟蒻は買い忘れたので入れません。
小鉢一杯分程度、ささやかにつくるつもりでしたが、炒めたあと、煮汁を飛ばすために煮込んでいると、ヒジキの量に較べて、どうも油揚げや人参が少なく、バランスが悪いように思えたので、油揚げと人参をもう少し……と。
そうするうちに、今度はヒジキのほうがまばらになってきたように思えたので、ヒジキをもう少し……と。
テナ具合で、こんなに大量になってしまいました。
見た目ではわからないだろうし、画像ではなおさらですが、色取りのつもりで、のげのり(千葉県銚子の特産品です)とあまっていた高野豆腐一丁を入れたので、ますます多量です。
冷蔵庫で保存するとしても、暑くなってきていますから、一体全体食べ切れるのかと思いながら、小鉢に取って写真を撮り終えたら、また軽い偏頭痛……。
今日は食事をする前にやってきたので、セットになっている胸焼けと吐き気がなかったのだけは幸いでした。
食べたのは二時間後でした。
味付けは最初から目分量です。途中、具材を継ぎ足すごとにまた目分量でしたが、ちょっと砂糖が多かったかなと感じるものの、まあまあの味に仕上がっておりました。
薬はまた紙袋にいっぱいになったけれど、明日の体調が少し心配です。
今日松戸市は暑かったですね。明日からまた梅雨空みたいなので、少しは気温が下がるといいのですが…