伊田の「シングル単位論」と相反する女性の新たな志向として、新専業主婦志向に触れておきたい。根強い性別役割意識の変容の方向も一様ではないのである。労働力の女性化によって、「男は仕事、女は家庭」という「性別役割分業意識」に代わる新たな性別役割意識として、「男は仕事、女は家庭と仕事」という「新性別役割分業意識」の確立が指摘された。平成不況に入ると、女性労働者は雇用調整弁となっているので女性の失業率は男性を上回り「女性の社会進出」にとって困難な時代が到来した。「会社中心」だった男性の意識も変わり始めている。こうした状況の中で「男は仕事と家庭、女は家庭と趣味」という「新・新性別役割分業意識」の登場が指摘されている。現代でも、若い女性のかなりの部分が職業を続けるよりも専業主婦になることを望んでいる。けれどもそれは昔ながらの主婦になることを望んでのことではない。彼女たちの多くは、「家庭中心」のやさしい夫に家事・育児を手伝ってもらいながら、そのかたわら「趣味に生きる」ことを望んでいるのだ。こうした若い女性たちの志向を、仕事の世界での自己実現が現実には期待薄であることを的確に察知した女性たちの精一杯の自己主張だという見方がある。彼女たちは「社会進出」を望んだ女性たちと同じく自己実現を望んでいる。しかし仕事の世界ではそれが困難である。ならば趣味に求めるしかない。そうなると経済力は男性に頼らざるを得ない。けれどだからといって「養われているのだから家事・育児は当然」などと言われるのは真っ平なのだ。
子育てだって家事だって本当は当然男性もやるべきなのだ。だからこそ「男は仕事と家庭、女は家庭と趣味」なのである。この意識の背景には根強く続く日本企業の性差別的体質に対する精一杯の抵抗がある、と考えられる。[1] 若い女性の専業主婦志向が衰えていないことは、山田昌弘も述べている。山田が行った若者のインタビュー調査の結果から見えてきたのは、結婚をあきらめるほどやりたい仕事に就いている女性は少ないという事実であった。ある高卒の女性は、「夫の収入で、気楽に生活できるか、あくせく働かなくてはならないかが決まってしまう」と回答しているが、これが多くの高卒や短大卒の女性の本音であろう。これは、このような女性を周縁労働力としてしか見ておらず、やりがいや昇進が見込まれるような仕事を与えていないという企業の責任でもある、と考えている点では先に紹介した見方と同様である。が、山田によれば女性自身は、それほど仕事に思い入れをしているわけでもなく、ある企業研究員(大卒、理系)でも、「子供が生まれたら仕事は辞めると思う」と解答している。仕事と育児を両立させるのは大変だから、どちらかをとるとすれば育児をとると女性は考えるのである。これらの傾向をみると、専業主婦志向が衰えているとは考えられない。特に、国立社会保障・人口問題研究所の調査では、25歳から34歳の年齢層では、年収200-400万円の女性に未婚者が多い。これだけの年収で一人暮らしをするのは生活が苦しいから、多くは専業主婦を志向するパラサイト・シングルではないかと思われる。パラサイト・シングルの多くがOLであることはすでに記した。山田はこの傾向を、母が家事を行い、父が生活を支え、自分は趣味的仕事、小遣い稼ぎの仕事をするパラサイト生活が生み出したものだと説明している。[2] 結婚して夫に食べさせてもらい楽に暮らす。しかも結婚しているということで、社会的な信用がある。専業主婦ほどおいしい職業はないのである。「被差別者の自由」を享受する若い女性にとって、会社人間などまっぴらだ。男女平等は思想としてはカッコいいが、男性と同じ過酷な労働はやりたくないし、やれない。家庭と地域と労働が調和した生き方が彼女たちの理想である。新専業主婦志向は、伝統的な性別役割分業論が、女性にとって「楽で得」になるよう読み替えられていると言える。
井上輝子が引用して述べているところによれば、直井道子らが家事と職業を仕事という同じ尺度で比較した結果、現代主婦の家事の特徴は、人にあまりかかわらず、従って孤独に、もっぱら物の処理に追われる。また、仕事の性格を、短調性、仕事への圧力、仕事の責任、管理の厳格性の4側面から測った場合、夫の職業についてよりも、妻の家事の方に「仕事が同じことの繰り返しであり、単調である」と感じている者が多かった。けれども一方、妻の職業労働と比べると専門・管理職従事者を除いて、妻の場合、家事よりも職業の方で単調さを訴える者が多いという結果もでている。管理されずに自由に仕事をしていると感じているのは、男性雇用者、次が家事をしている主婦であり、女性雇用者、中でもパートのブルーカラーは厳しい管理下にある。専門・管理職を除けば主婦が従事している仕事は家事と比べても単調で、管理は厳しく、自主性を発揮することができない。となれば、経済的状況が許せば家事に専念していた方がマシだと考えるのも無理はない。[3] こうした考え方は、仕事の世界での自己実現が現実には期待薄であることを的確に察知した女性たちの精一杯の自己主張であるという見方と一致する。
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引用文献
[1] 井上輝子・江原由美子編『女性のデータブック[第3版]』54頁、有斐閣、1999年。
[2] 山田昌弘『パラサイト・シングルの時代』83-85頁、筑摩書房、1999年。
[3] 井上輝子『女性学への招待[新版]』151頁、ゆうひかく選書、1997年。