フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-内面への逃避
「雪に足を取られ、氷に滑り、何キロもの道のりをこけつまろびつ、やっとの思いで進んでいくあいだ、もはや言葉はひとことも交わされなかった。だがこのとき、わたしたちにはわかっていた。ひとりひとりが伴侶に思いを馳せているのだということが。
わたしはときおり空を仰いだ。星の輝きが薄れ、分厚い黒雲の向こうに朝焼けが始まっていた。今この瞬間、わたしの心はある人の面影に占められていた。精神がこれほどいきいきと面影を想像するとは、以前のごくまっとうな生活では思いもよらなかった。わたしは妻と語っているような気がした。妻が答えるのが聞こえ、微笑むのが見えた。まなざしでうながし、励ますのが見えた。妻がここにいようがいまいが、その微笑みは、たった今昇ってきた太陽よりも明るくわたしを照らした。
そのとき、ある思いがわたしを貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てにたどり着いた真実、何人もの詩人がうたいあげた真実が、生れてはじめて骨身にしみたのだ。愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。今わたしは、人間が詩や思想や信仰をつうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のものだ、という真実。今わたしは、人間が詩や思想や信仰をつうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること! 人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。わたしは生まれてはじめて、たちどころに理解した。天使は永久(とわ)の栄光をかぎりない愛のまなざしにとらえているがゆえに至福である、という言葉の意味を・・・。
目の前の仲間が倒れ、あとに続く者たちもつられて転んだ。監視兵がさっそくとんできて殴りかかった。数秒間、わたしの想像の生活は中断された。だが、魂は瞬時に立ち直り、ふたたび被収容者であるここからあらぬかたへと逃れて、また愛する妻との会話を再開した。わたしが問いかけると、妻は答えた。妻が問えば、わたしが答えた。
「止まれ!」
工事現場に着いた。
「全員、道具を持て! つるはしとシャベルだ!」
みんなは、使いやすいシャベルやしっかりしたつるはしを手に入れようと、真っ暗な小屋に殺到した。
「早くしろ、この豚犬野郎!」
ほどなく、わたしたちは壕(ごう)の中にいた。きのうもそこにいた。凍てついた地面につるはしの先から火花が散った。頭はまだぼうっとしており、仲間は押し黙ったままだ。わたしの魂はまだ愛する妻の面影にすがっていた。まだ妻との語らいを続けていた。まだ妻はわたしと語らいつづけていた。そのとき、あることに思い至った。妻がまだ生きているかどうか、まったくわからないではないか!
そしてわたしは知り、学んだのだ。愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり(哲学者のいう)「本質ゾーザイン」に深くかかわっている、ということを。愛する妻の「現存ダーザイン」、わたしとともにあること、肉体が存在すること、生きてあることは、まったく問題の外なのだ。愛する妻がまだ生きているのか、あるいはもう生きてはいないのか、まるでわからなかった。知るすべがなかった(収容生活をとおして、手紙は書くことも受け取ることもできなかった)。だが、そんなことはこの瞬間、なぜかどうでもよかった。愛する妻が生きているのか死んでいるのかは、わからなくてもまったくどうでもいい。それはいっこうに、わたしの愛の、愛する妻への思いの、愛する妻の姿を心のなかに見つめることの妨げにはならなかった。もしあのとき、妻はとっくに死んでいると知っていたとしても、かまわず心のなかでひたすら愛する妻を見つめていただろう。心のなかで会話することに、同じように熱心だったろうし、それにより同じように満たされたことだろう。あの瞬間、わたしは真実を知ったのだ。
「われを汝の心におきて印のごとくせよ・・其(そ)は愛を強くして死のごとくなればなり」(「雅歌」第八章第六節)」
(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、60-63頁より)