たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出写真_凱旋門

2019年04月07日 19時42分36秒 | パリから世界遺産を訪ねて
 ようやくまた久しぶりに2008年9月に訪れたパリの思い出振り返り。今さら携帯で撮った解像度の低いこんな写真でなくても、凱旋門の写真はいくらでもあるのですが、有給休暇をとるために会社でストレスに耐えながら働いて働いて働いて、ようやくたどり着いた旅先を自分の足で歩いたということ、シャンゼリゼ通りを一歩一歩踏みしめながら歩いたということ、その感覚を今も体が覚えていることが大切ということで・・・。

 EU圏内の通貨がユーロに統一されて、ユーロの価値が高かった頃でした。確かにEU離脱で揺れ動いているイギリスだけが自国の通貨のままでした。



2018年雪組『凱旋門』東京公演プログラムより、2000年初演時の柴田俊治氏寄稿文

歴史の証人「凱旋門」より引用します。

 あれから、ラヴィックとモロゾフは会えたのだろうか。

 フーケの角に立つと、ふとそう思ってしまう。物語は、ラヴィックをのせたトラックが走り去るところで終わっている。

 答は、たぶんノーである。

 ラヴィックを連行したのはフランスの警察であり、その先の収容所もフランスのもの。ドイツではないはずだ。

 しかし、戦争がはじまって、パリはドイツ軍に占領された。ドイツに協力するペタン政府がヴィシーにでき、フランスは対独協力派とレジスタンス派に分かれた。

 こうした情勢下に、ドイツの手に渡され、ドイツの収容所に引き戻されて、悲惨な最後をとげたユダヤ人たちが数多くいた。

 ラヴィックのその後の運命が、明るいものだったとは想像しにくい。

 第二次大戦が終わると、ドイツは東西に分割される。

 冷戦のはじまり。東ヨーロッパと西ヨーロッパの間は「鉄のカーテン」によって遮られることになる。

 その一方で、西ヨーロッパではフランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクなどで、欧州共同体結成の動きが起こる。国境をこえて、ひと、ものの移動を自由にしようというのである。

 大戦は欧州に屍の山を築き、都市も田園も焦土と化した。しかも、二度まで。

 三たび戦争をおこせば、ヨーロッパは壊滅してしまう。ギリシャ、ローマ以来、文明の伝統を伝えてきたヨーロッパは、週末を迎えるだろうーひとびとの深刻な危機感が、ヨーロッパ統合の原動力となった。

 1989年、ベルリンの壁が崩壊した。

 →もう少し続きます。






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