たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出写真_モン・サン・ミッシェル

2017年03月04日 23時37分06秒 | パリから世界遺産を訪ねて
 まだまだモノがあふれかえっていてぐちゃぐちゃなので少しずつ整理中、そんな心の断捨離は続いています。

 メルキュール・モンサンミッシェルで一泊した翌日、2008年9月9日(火)、晴れわたった空のもとで訪れたモン・サン・ミッシェル修道院。

『地球の歩き方』より

「708年、アヴランシュの司教聖オベールが夢の中で神のお告げを受けて小さな礼拝堂を建てたことから、モン・サン・ミッシェルの歴史は始まる。966年に修道院の建設が本格的に始まり、その後、数世紀にわたって増改築が繰り返されてきた。こうして、中世のさまざまな建築様式が混ざり合った独特の造りとなっている。例えば11世紀に造られたサン・マルタン地下聖堂はロマネスク様式のオリジナルの形を残しているが、もともとロマネスク様式で造られた教会の内陣は15世紀にフランボワイヤン・ゴシック様式に造り替えられている。

 一番の見どころは北面の3階建て2棟を含む部分で、「ラ・メルヴェイユ(驚異)」と呼ばれ、ゴシック建築における傑作と称えられている。

 最上階にある13世紀の回廊は、2列に並んだ円柱がリズミカルに美を奏でる、まさに瞑想にふさわしい神秘に満ちた空間となっている。円柱が交互に立っているのは修道士の歩くリズムに合わせたものだという。回廊の隣は修道士の大食堂。その階下には、騎士の間と賓客室がある。

 中世の頃には多くの巡礼者を受け入れたモン・サン・ミッシェルだが、18世紀には牢獄として使われた歴史をもつ。このため、修道院の内部には労働に使われた大車輪、さらに死体収容所の跡まで残っている。修道会はフランス革命時に解散させられたが、牢獄としての役割は続き、さまざまな政治犯や反体制派の人々がこの島に送られた。牢獄としての役目の終えたのは1863年のこと。やがて中世芸術を再評価する動きとともに、モン・サン・ミッシェルの比類ない景勝美が注目され、現在ではフランスで最も人気のある観光地となっている。

 修道院の見どころは、建築のほかにもうひとつ。ここからのパノラミックな眺望だ。西側テラスに出ると、晴れた日なら対岸のグランヴィルまで見渡せる壮大な眺めを満喫できる。時間があれば、湾を取り囲む海岸線を散策してみるのもおもしろい。さまざまな角度からモン・サン・ミッシェルを眺められる道で、また新たな魅力を発見することだろう。」

ごつごつ、ごつごつとした石の要塞を実感。足元も石。当然ですが歩いて観光したので、この日の夕方になって足がかなり疲れていることを感じました。イヤホンガイドもぶら下げていたので荷物重かったし、観光地めぐりは体力、健康な体があってこそです。









西側テラスの足元。モン・サン・ミッシェルの建築に携わった人たちの名前だったかな、イニシャルだったかな?が刻まされているという説明だったと思います。



西側テラスで空を見上げて撮りました。
より空に近く、より神様に近づこうとして高くつくったという説明があったと思いますが見上げているとその想いを肌で感じることができました。






西側テラスから対岸を眺めることができました。イギリスとの100年戦争の時には、モン・サン・ミッシェルが砦となったという説明があったと思います。



西側テラスから眺めた潮の満ち引き。



出る時後ろを振り返って撮ったようが記憶があります。






 写真ありませんが、地球の歩き方に書かれている修道士たちが瞑想したという回廊はとても落ち着く雰囲気でした。身分の高い人たちが食事をする間の豪華さとその階下だったと思いますが身分の低い人たちが食事をする間の質素なことの落差も印象的でした。ヨーロッパの身分制社会は日本人がイメージするよりもはるかに強いものがあるというような記述をどこかに読んでことがありますが、身分によってこんなに扱いが違うものかと驚きました。

 修道院の観光が終わると、近くで昼食に名物というオムレツをいただきました。ボリュームのあるメインディッシュを想像していましたが、オムレツは小さくって日本なら米のかわりのような存在、一緒に魚などもいただいた記憶があります。

 すべて使い捨てカメラで撮った写真。簡単ですが、わたし自身のための旅の振り返りでした。

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