フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容-非情ということ
「強制収容所に入れられた人間は、その外見だけでなく、内面生活も未熟な段階にひきずり下ろされたが、ほんのひとにぎりではあるにせよ、内面的に深まる人びともいた。もともと精神的な生活をいとなんでいた感受性の強い人びとが、その感じやすさとはうらはらに、収容所生活という困難な外的状況に苦しみながらも、精神にそれほどダメージを受けないことがままあったのだ。そうした人びとには、おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、豊かな内面へと立ちもどる道が開けていた。繊細な被収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えたという逆説は、ここからしか説明できない。
このことをすこしでもわかってもらうために、またしてもあえて個人的なことを語ろうと思う。当時、わたしたちが朝早く、収容所から「工場現場」へと向かうとき、そのありさまはどんなだっただろう。
号令が響きわたる。
「ヴィングート労働中隊、足並みそろえて、前へ、進め!左-二-三-四、左-二-三-四、左-二-三-四、左-二-三-四! 先頭、横の列が乱れとるぞ! 左-右-左-右-左、脱帽!」
記憶は今も耳になまなましい。「脱帽!」のかけ声とともに、わたしたちは収容所のゲートをくぐった。サーチライトがいくつもわたしたちに向けられた。このとき、ぴしっと姿勢よく五列横隊になって行進していないと、長靴のかかとでしたたかに蹴りを入れられた。しかも、帽子をかぶってよしとの命令が出ないうちに、寒さのあまり帽子をかぶってしまった者には、さらに悪いことが待ち受けていた。
今わたしたちは、暗いなか、大きな石ころや幅が数メートルもある水たまりを越えて、収容所の道を外へとよろめき歩いていく。護衛の監視兵はひっきりなしにどなり、銃床(じゅうしょう)で追いたてる。足をひどく傷めている者は、それほどでもない隣りの男にすがっている。わたしたちはほとんどひとことも交わさない。日の出前の風は氷のように冷たく、口をきかないほうが得策なのだ。
隣りを歩いていた仲間が、立てた上着の襟で口元をかばいながら、ふいにつぶやいた。
「ねえ、君、女房たちがおれたちのこのありさまを見たらどう思うだろうね・・・! 女房たちの収容所暮らしはもっとましだといいんだが。おれたちがどんなことになっているか、知らないでいてくれることを願うよ」
そのとき、わたしは妻の姿をまざまざと見た!」
(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、58-60頁より)