話題の映画『ヴィヨンの妻』を観て来ました。
私の個人的な感想を少し書きたいと思います。
この映画の一番良いなぁと思ったところは、太宰の本のページをめくりながら読むように、ひとつひとつの台詞に耳を傾けて見聞きできたところです。
太宰の原作を何度か読んでいたので、文字が映像になって目の前に広がっても、本を読んでいるように思えました。
言葉が先に浮かんできました。
慌しくなく、映像に余裕がある感じです。
また言葉が丁寧で、落ち着けます。
主な登場人物の衣装が、あまり変わらず、時代・人物の背景に合わせていて着物・古い型の洋服が、目にも優しかったです。
「ヴィヨンの妻」を軸に、太宰の他の作品の「きりぎりす、桜桃、グッドバイ・・・」などを思い起こさせる言葉が随所に出てきて、太宰エッセンスを時折振りかけられているようでした。
つくづく文学の人だぁと深く感じるのと同時に、主人公のどうしようもないダメ男のはずの「大谷」に不思議な魔力が働いて、思わず、弱々しい「大谷」に男の孤独なロマンを感じ、すごく嫌だとは思えなくなってきます。
「大谷」が何を話すのか傍に寄り添ってしまうのです。
浅野さんは、上手く演じていたと思います。
泣いたり、歌ったり、酔っ払ったり、とんでもないことしたり・・・。
展開はいろいろあったんだぁと振り返ればゆっくりでもなかったかな。
そして、大谷の女房「佐知」役、松たかこさんの、憐れな涙のシーンはきれいで健気で胸を締め付けられました。
小説家を愛する妻。
さすがに舞台女優。
どこから見ても、体全部で演じているすごさを感じました。
と書いても、映画は趣味の問題ですからね。
私は『ヴィヨンの妻』が好きなんです。
最後のあの
「人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
の台詞がいいのです。
その言葉にたどり着くまでのお話は十分描いてあったと思います。
最後の二人の場面良かったです。
日常の中に不意にぽっと穴かできて、そこに、温かい細い光が射したら、きっと優しい気持ちになるような、反対なら悲しい気持ちになるような、作者の想像で、果たしてそれは決まるみたいです。
日常にあるようなないような心を描くのも文学ですね。
私の個人的な感想を少し書きたいと思います。
この映画の一番良いなぁと思ったところは、太宰の本のページをめくりながら読むように、ひとつひとつの台詞に耳を傾けて見聞きできたところです。
太宰の原作を何度か読んでいたので、文字が映像になって目の前に広がっても、本を読んでいるように思えました。
言葉が先に浮かんできました。
慌しくなく、映像に余裕がある感じです。
また言葉が丁寧で、落ち着けます。
主な登場人物の衣装が、あまり変わらず、時代・人物の背景に合わせていて着物・古い型の洋服が、目にも優しかったです。
「ヴィヨンの妻」を軸に、太宰の他の作品の「きりぎりす、桜桃、グッドバイ・・・」などを思い起こさせる言葉が随所に出てきて、太宰エッセンスを時折振りかけられているようでした。
つくづく文学の人だぁと深く感じるのと同時に、主人公のどうしようもないダメ男のはずの「大谷」に不思議な魔力が働いて、思わず、弱々しい「大谷」に男の孤独なロマンを感じ、すごく嫌だとは思えなくなってきます。
「大谷」が何を話すのか傍に寄り添ってしまうのです。
浅野さんは、上手く演じていたと思います。
泣いたり、歌ったり、酔っ払ったり、とんでもないことしたり・・・。
展開はいろいろあったんだぁと振り返ればゆっくりでもなかったかな。
そして、大谷の女房「佐知」役、松たかこさんの、憐れな涙のシーンはきれいで健気で胸を締め付けられました。
小説家を愛する妻。
さすがに舞台女優。
どこから見ても、体全部で演じているすごさを感じました。
と書いても、映画は趣味の問題ですからね。
私は『ヴィヨンの妻』が好きなんです。
最後のあの
「人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
の台詞がいいのです。
その言葉にたどり着くまでのお話は十分描いてあったと思います。
最後の二人の場面良かったです。
日常の中に不意にぽっと穴かできて、そこに、温かい細い光が射したら、きっと優しい気持ちになるような、反対なら悲しい気持ちになるような、作者の想像で、果たしてそれは決まるみたいです。
日常にあるようなないような心を描くのも文学ですね。