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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 舞台裏(改)

 「舞台裏」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

 

ダ・ヴィンチの罠 舞台裏 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

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 url『ダ・ヴィンチの罠 舞台裏』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで35作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 舞台裏(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 天才を欲しいがままにした芸術家
のひとりにパブロ・ピカソがいます。

 
   ピカソ20歳の自画像(1901年)

 「寿限無寿限無」には及ばないものの
非常に長い名前の例として引き合いに出される
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・
ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオ
ス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・サンティシマ・
トリニダード・ルイス・イ・ピカソは、

    
     ゴッホの自画像 1887年

 生前にほとんど絵が売れなかったゴッホ
とは対照的に最も成功した画家としても
よく知られています。

 この聖人や縁者の名前を並べ連ねた洗礼名
(本名)を自分でさえ覚えられなかったとされる
ピカソは 画家としての活動を始めた頃には
パブロ・ルイス・ピカソと名乗っていましたが、

    

 ある時期からはルイスという父方の姓を省き、
パブロ・ピカソと名乗るようになります。

 ピカソは、およそ1万3500点の油絵と素描、
10万点の挿し絵、300点の彫刻と陶器など・・・

 生涯で147800作品もの圧倒的な量にのぼる
美術品を制作し 史上最も多作な芸術家として
ギネスブックに認定されていますが、

 ピカソが20世紀の巨人のひとりならば、
同じく多作な画家で知られる17世紀の巨人
のひとりがルーベンスです。

 画家にして、画家と称される
ピーテル・パウル・ルーベンス

  
 ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 16世紀~17世紀にかけて活躍したフランドル
画家にして外交官でもありましたが、

  
 アントワープにあるルーベンスの銅像

  ピカソと同様に、在世中において最も
成功した画家のひとりであり、その作品の
多さもピカソには及ばないものの当時として
は画期的な量産システムの工房から、1200点
(一説では2000~3000点)もの作品
おくったとされています。

 

 巨匠としての名声の高まりとともに、注文が
集中したとはいえ、同じ題材の絵をいくつも
制作した裏には相応の理由があったのです。

 ひとつには、当時、カトリックとプロテスタント
の宗教戦争によって、多くの教会や宗教施設
などが被害を受けていましたが、休戦条約が
結ばれたことで 教会の再建が始まり、そこに
飾る彫刻、絵画などの注文がルーベンス
の工房に殺到したという外的な要因とともに、

 内的な要因としては彼の作品内に隠された
「罠」の秘匿性を高めるためや隠蔽工作、
あるいは もしもの時のアリバイ作りのために
同じモチーフの作品や同じタイトルの複数の
絵画が制作されたものと考えられるのです。
 
 よく耳にする言葉に、

 「木の葉を隠すなら森に隠せ」
という慣用句があります。

 ある事物を隠したいと思うなら同じものが
たくさんあるところに隠せば見つかりにくい
と言う意味ですが、


    素材提供者:星野伸 撮影場所:神奈川県伊勢原市大山

 これを実践していたのがシステム化された
アントウェルペンの大工房だったのです。

 要は、

 「葉を隠すための森の木々」
として、ダ・ヴィンチの「罠」意図
継承する作品隠れ蓑となるべき
作品をせっせと制作していたのです。

 言わば、「葉隠れ」ならぬところの
「葉隠し」というわけですねpeace


 しかしながら、

 ルーベンスが優れた外交官
あることに衆目一致を見たとしても
彼が諜報員(スパイ)として暗躍した
という証拠はどこからも見つかりません。

 そこで、彼の生い立ちを少しずつ追って
みることにしましょう。

ダ・ヴィンチの罠 外交官(改) - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 外交官(改) - 透明人間たちのひとりごと

「外交官」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつも...

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 url『ダ・ヴィンチの罠 外交官(改)』

 でも、さらっと触れていますが、

 ルーベンスは1577年6月28日、法律家で
あった父ヤンと母マリアのもと、7人兄弟の
6番目としてドイツのジーゲンに生まれます。

 誕生の翌日が聖ペテロ聖パウロ
の祝祭日だったことにちなんで、その名を
ピーテル・パウルと命名されます。

 母の名がマリアで、そこにペテロとパウロ
と来れば、パフ(Puff,the Magic Dragon)
で知られるアメリカのフォーク・グループの
P・P・M(ピーター・ポール&マリー)が
思い出されますが、

 
url https://www.youtube.com/watch?v=gOpzBoyvo2w

 urlをクリックすると曲が流れますよ

 この辺りにも何か運命的なものを
感じてしまいそうです。

 時代はまさに宗教改革の真っ只中で、
ヨーロッパではカトリックとプロテスタント
の攻防戦が繰り広げられていました。

 父ヤンはプロテスタントのカルヴァン派
だったので、スペイン領ネーデルラントの
総督アルバ公フェルナンドによる迫害
(プロテスタント狩り)を避けて、1568年に
家族でドイツのケルン逃れ、一時 そこに
身を置き、法律顧問をしていたのですが、

 そんな折に、ある事件が起こります。

 オランダ総督オラニエ公ウィルム1世の
二度目の妃、アンナの法律顧問になった
ヤンは、あろうことかアンナの愛人となり、
1570年にはジーゲンのアンナの宮廷へと
居を移すわけです

 案の定、この不倫劇は発覚し、ヤンは
投獄されてしまいます

 当時ドイツでは市民階級と貴族女性の
不貞は死罪と相場が決まっていたので、
極刑が必至のところを妻マリアの必死の
嘆願の甲斐もあり、死罪一等が減じられ
自宅軟禁で許されるという奇跡のような
出来事が起こります。


     『聖告(受胎告知)』 ルーベンス(1609年)

 この軟禁中にマリアはルーベンス
を身ごもるわけで、歴史とは実に不可解
にして絶妙のシナリオの上に成り立って
いるもので、この奇跡が起こらなければ
後の天才画家ルーベンスはこの世
には存在していないわけです。


   『受胎告知』 ルーベンス(1628年)

 自身の出自を好ましくなく、且つ、快く
も思っていなかった彼は、自分はケルン
の生まれだと称していたようで、そこに
父に対する屈折した思いと「神」
への最初疑問が芽生えていた
のではないかと考えられます。


     『キリスト昇架』 ルーベンス(1610年)

 父の死によって、一家は再び両親の
故郷であるアントウェルペンに戻って、
カトリック改宗します。


    『キリスト降架』 ルーベンス(1612年)

 おそらくはプロテスタントとして
洗礼を受けたルーベンスは、
長じてカトリックのプロパガンダ的
カトリック誇示する趣旨
宗教画を量産するわけで、

 

 そこに運命皮肉を感じると同時に
アリバイ作りを見るわけです。

 ルーベンスは、

 14歳になった頃に風景画家として知られた
トビアス・フェルファーフトに弟子入りすること
になりますが、すぐにフェルファーフトのもとを
離れて、アダム・ファン・ノールトのアトリエに
徒弟として住み込み、そこで4年の修業の後
にオットー・ファン・フェーンに師事します。

 
 オットー・ファン・フェーンの肖像

 古典的な教養も豊富だった3番目の師から
多くのことを学んだルーベンスが画家と
して独立したのは アントウェルペンの聖ルカ
ギルド(画家組合)に親方登録された1598年、
(彼が21歳)のときのことで、その後2年程は
師匠のもとで仕事をしていたようです。

 1600年~1608年の間、イタリアに留学した
ルーベンスはルネサンスの巨匠たちの作品
に直接ふれる機会を得ることになりますが、

 この辺りのことは、
 
 url『ダ・ヴィンチの罠 外交官(改)』

 を参照してみてください。

 さて、ここで重要なのはルーベンス
の父親に対する複雑な心情です。

 父のヤンはイタリアで法律の学位をとった
法律家で、子供の教育には熱心でした。

 父からは まず古典語であるギリシャ語と
ラテン語、そして 古典文学等の手ほどきを
受けたようで、兄フィリップスは後に高名な
古典学者になりますが1610年代に夭逝
してしまいます。

 ルーベンスが描く寓意画や宗教画の
基礎となった知識は父のヤンや師であった
オットー・ファン・フェーンによるものですが、

 
   オットー・ファン・フェーン

 父ヤンからの薫陶のたまものであるとは
言い難い事柄が、母に対する裏切り行為
とも映る不貞の事実です。

 それ故にユダ裏切りには人一倍
関心があり、ユダに対してもシンパシー
に似た複雑な思いがあったと思われます。

 

 また、『聖家族』モチーフにした
作品の多さと比較して、プライベートな家族
の肖像とを並べて観ると、

  
 『聖家族と聖エリザベスと幼児聖ヨハネ』

 ルーベンス『聖家族』に対する
ある種の疑念とは裏腹にある平穏
して安んずるべき 機微を窺わせる
ものとなっています。


     若き妻エレーヌと子供たち

 さて

 同じモチーフの絵画が2作品あったならば、
そのうちのどちらか1枚に、また、

 
    『聖告(受胎告知)』 ルーベンス

 同名タイトルの複数枚の作品の場合には、
その中の数作品に「罠」対応または
呼応するメッセージ・シグナル
が描かれている可能性があるのですが、


     『受胎告知』 ルーベンス

 その代表的な作品が『受胎告知』


        『聖チェチリア』 ルーベンス

 『聖チェチリア』であって、


            『聖チェチリア』 ルーベンス

 さらに、多数枚にわたって描かれ続けた
『聖家族と聖エリザベスと幼児の
洗礼者聖ヨハネ』
などのシリーズです。

 詳しくは、

『聖家族シリーズ』が、紹介されている 

ダ・ヴィンチの罠 聖家族 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 聖家族 - 透明人間たちのひとりごと

ルーベンス(1577-1640年)の絵画には日常的に「犬」たちが登場しますが、『受胎告知』ルーベンス出典:4travel.jp「猫」は極めて稀で、今のところ二種類ある『受胎告知』...

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 url『ダ・ヴィンチの罠 聖家族』  

 を参照してみてください。

 実のところを言えば『最後の晩餐』
も二種類の違った作品になるはずでした。

 
       『最後の晩餐』 ルーベンス

 この作品以前の1611年に『最後の晩餐』
がテーマの絵画の制作をルーベンス
は試みていたのですが、最後の段階にて
依頼者が手を引いて、制作が頓挫し放棄
されてしまったのです。

 ですから、

  

 当然のことながら、この作品にも「罠」
に応えるメッセージ・シグナル
隠されていることは、

 url『ダ・ヴィンチの罠 外交官(改)』

 に記したとおりです。

  また、

 彼はダ・ヴィンチの『最後の晩餐』
を模写したエッチングも制作していて、

      

 懸命にその主題(ダ・ヴィンチの意図)
「罠」の何たるかについての解読
に挑んでいたようなのですが ・・・

 その答えのひとつが、

 
   

 何かを訴えかけるようにこちら(鑑賞者)
を見つめるこれらの絵に共通する目です。


     『エレーヌ・フールマンとその息子』

 エレーヌの膝の上からのぞく幼子の瞳、


        『エレーヌと子供たち』部分

 聖母マリアに抱かれる幼いイエスの瞳、


    『聖家族』 ピーテル・パウル・ルーベンス(1615年)

 そして、


      『最後の晩餐』部分(ユダの顔)

 真実とは何かを問うユダの瞳です。

 ところで、
 
 ルーベンスの作品には脇役として
かなりの頻度で「犬」が登場しますが、
作品ごとに「犬」の持つ役柄(寓意)
は微妙に違っています。

 ただ、押し並べて言えるのは、「犬」
の寓意は、カトリックの欺瞞性や偽善性、
傲慢なる二面性(忠誠と怠惰・強欲など)
が表現されていて、


  『キリスト昇架』 ルーベンス(1610年)

 「猫」はプロテスタント(反抗する者)
を表象しているように感じます。

 それは、     

 同じように『受胎告知』「猫」


    『受胎告知』  ロレンツォ・ロット

 描いたロレンツォ・ロットの意図とも、


   『受胎告知』 の猫  ロレンツォ・ロット

 フェデリコ・バロッチの「猫」に対する


 『受胎告知』 フェデリコ・バロッチ

 愛情深い思い入れとも異なるもので、



 そこには『ダ・ヴィンチの罠』
応えるように、あるモノが隠し描かれて
いるからなのですが ・・・

  (それはまた別の機会に解説します)

 今回はルーベンスのバックボーン
となる生い立ちや「罠」対応する
作品の来歴的な「舞台裏」の話に
なってしまいましたが、

       

 畢竟するに、

 「木を見て森を見ない」

 そんな、わしは、

 「どうなんじゃ !?

  

 100%

 「スパイにはなれません」

    

      
     (言わずもがなやで)


   ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 「10年早い」どころか、「一生、無理じゃな!」

 

… to be continued !!

 

コメント一覧

小吉
暗号には「キー」がつきもので、逆に言えばキーのない暗号は暗号ではないとされる。

ということは、たくさんの絵画の中に隠された「真実」にたどりつくためにはそれを暴くための「キー」なり「方程式」なり「解読法」があるはずだ。

逆になければそれは罠でもなんでもないのかもしれない。

とかなんとか言ってみる。
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