守破離をわかるために
この言葉(意識の技)は千利休が元々だと
書きました。
茶道・武道でも時折耳にしますね
しかし、
この守破離は
『守』ができていなければ
『破』にいけないと書きましたが
そこを話しますと
合気道なら
型を全て習えば『守』は終わりとはいかない
ものです
受け身も型にいれますが、
型(形)を学ぶとは現象形態を学ぶということ
それから次の段階へ
合気道の構造がわかってきます
さらに
本質の入口にもふれ
ここまできたら
今までの現象形態、構造(みにみえない)が
腑に落ちるようにわかってきます。
この
現象形態→構造がわ見えて→本質を言葉にできる
ここまでが
『守破離』の『守』です。
要するに
合気道にせよ、茶道にせよ、
それぞれの本質を見極める入口
へ立たなければ、
『守』は空振りに終わります。
では
『守破離』の『破』とはなんなのか?
それも
世間で言われているものとは
違うと当会では教えています。
これは
次回に書いていく予定です。