『言葉で教えるということ』
≪言葉から感覚へ≫
何かを初める人に
絵の描き方を教える
一輪車や自転車の乗り方を教える
卓球を教える
合気道の技を教える
みんな言葉でもって教えています。
唯一教えられないのが、感覚を伴うこと。
絵を一から習う場合は、
水彩でも油彩でも「ことば」でもって教えてもらいます。
卓球を始めた時は、「ラケットの握り方は、こうして、構えはこうやって・・・」
というふうに
合気道も最初は、形を教えたりするのに言葉で指導できますが
上達するにつれて
身体で覚え
意識を働かせ
フィーリングで感じ
身体で感じ取って動くことを覚えて知っていくほど
「コトバ」は要らなくなっていきます。
要らなくなるというより、無くなっていきます。
もちろん分かる人だけの言葉はありますが
それは「コトバ」が結果として使われただけ
「コトバ」が確認の意味になったとき
合気道上である感覚に気づくと
それを基にして
さらに発展していきます。
このブログ、
「何を書いているのか分からない」
モヤモヤするという人があると思いますが
そういった世界があるということです。