『ぶらっとヒマラヤ』藤原章生(毎日新聞出版)
週刊誌の書評でこの本の存在を知った。著者は毎日新聞の記者。勤務地が長野であった時にはシリーズの山岳記事を書き、その後海外特派員として南アフリカ、メキシコ、イタリアに赴いているが、その土地土地で現地に根差した情報を集め記事を書いた。帰国後は夕刊の特集面を希望して担当するなど、根っからの自由人であり、足で稼ぐをモットーとするような猪突猛進タイプの傑物だ。
タイトルにあるようにヒマラヤ(ダウラギリ)に誘われて、ぶらっと行ってしまうバイタリティと思い切りの良さをもっている。ただ安易に行ってしまっているわけではなく、周到な準備をしているのがすごい。高所での自らの体のコンディションを調べるために、三浦雄一郎氏の活動拠点、ミウラ・ドルフィンズを訪れ、低酸素室に入って睡眠中のリスクが高いことを知る。恐れ入ったことに、さっそくそれを改善するために鼻の手術をしている。
いざ出発すると、身に起こったことを面白おかしく、また適格な比喩で表現している。ダウラギリ登山は、シェルパがコースを設定し、ロープを張り、ラッセルもし、キャンプ地を設営、ごはんを作ってくれるコックもいて至れり尽くせりで登れる、まさに「名門幼稚園の遠足」であると表現する。ツアーに参加すれば、ほとんどこれだ。
ただし、そうであってもひょうが降ったり、雪崩が起きたり、落石があったりとリスクは高い。それを教養の高い記者だからこそだが、ホッブズの『リヴァイアサン』の言葉を引いて、このリスクへの感情をこうまとめる。
「嫌悪が恐怖の原因ではあるが、嫌悪だけでは恐怖は生まれない。自分が害を受けると思ったときに恐怖となる。逆に嫌悪などは払いのけられると思えるのが勇気だ」
著者は20歳のときに山三昧で3度も滑落を経験している。普通は100メートルも落ちたら助からないものだが、運よく藪に突っ込んで止まること2回。沢で落ちそうになったときにザックが木の枝に引っ掛かり助かった話も出てくる。すごい体験だ。ここまで命にかかわる事故を経験していると、ものの見方が変わるようだ。このブログでもとり上げたジミー・チンさんへのインタビューでこんなくだりに賛同を示している。
「ほとんどの人は普段、死を考えないからね。死は誰にでもやってくる避けられない経験。その死について健全(healthy)な見方をするのは、とても役に立つし、その後の自分の人生での決断を左右することにもなる」
この本は、人生哲学もふんだんに散りばめられており、こんな生き方、考え方もあるのかと驚かされる。
参考:当ブログ
ヒマラヤの未踏峰に挑むドキュメンタリー映画『MERU(メルー)』
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